逃避

 なんて優しい声で、なんて物静かなのだろう。恐らく今目の前にいるときも、想像が出来ない不快な症状と戦っているのだと思うが、気持ちをよくコントロールして紳士のままだ。もっとも、身なりはまるで反対で、経済的な苦労をしょっているのも想像つくが、それを態度に見せない。  同じように生を受け、何でこんな目に合わなければならないのだろうと不運を一緒に恨みたくなるような人がいるのは何故だ。病院でなくても時に薬局でもそうした人と遭遇する。僕の薬局が漢方薬を多く扱っているからかもしれないが、そうした人に遭遇するとこの世の不公平に打ちのめされる。健康に恵まれ、勝気で強運の人種の横暴が目に付く昨今、こうした人達の様はなかなか目にすることも出来ない。どう説明されても納得がいかないその不公平に、たじろぎ自分の無力を恥じる。  歳相応の衰えを体感する毎日が、理解と共感を促進することは確かだが、その種の不公平の存在自体が僕には許せないし受け入れられない。だから実在から逃避したくてクリスチャンになったのかもしれない。