難民

行列をなしている人達は、プライド高き人達で、決して何かが劣っているわけではない。偶然生きている場所と時間が作った状況と戦いながら生き抜いた人達だ。その人達に必要なのは同情や哀れみではない。友情だ。同じ行為をしても、同情や哀れみと、友情とでは全く意味が違う。そしてそれは当然透けて見える。だから、市民が行列に向かって行っている行為に、ヨーロッパの良心を見た。  ただ当然といえば当然だが、自分達の優越性にすがらなければ、彼らを脅威と感じてしまう人達が出るのも当たり前だ。人に心底優しくなるために一番手っ取り早いのは、自分が恵まれていると思えることだ。教育でも経済でも、社会的なかかわりにおいても、自分が相当恵まれていると感じることが出来れば誰にだって親切でおれる。ただ、自分のうちに劣等感を抱えていたら、やはり牙を剥かざるを得なくなる。誰かを見下し自尊心を満たすことでしか、自分の平静を保てない人達も当然多く存在する。アホコミがどちらに焦点を当てているのか知らないが、早晩この国もそうした選択から免れることが出来ない状況がやってくる。  今、難民ではないが、研修生などと言うわけの分からない肩書きで人間を輸入しているが、それらの人達が何処の街でも溢れ返った姿を想像してみよう。友情を培う人になるのか、或いは彼らの勢いに不安を感じ排他的になるのか。僕が親しくしているかの国の人間が、どうも数人がかりで3人を死傷させたらしい。何が原因か知らないが、こうしたニュースに接すると、自分の国で起こっている年間数千件のこの種のニュースを差し置いて、彼らを蔑み恐れる気持ちが湧いてくる。あれだけ多くの友人を持っている僕でさえ不快になるのだから、一般の人達が距離を置くようになっても仕方がない。  多くの人が自由に国境を行き来している現在、果たして国なる物が必要なのかどうか。ひょっとしたら、それが必要なのは国を食い物にしている人間達だけで、食い物にされている人間たちにとっては、さほど必要でないのかもしれない。  苦渋に満ちた顔が一晩で笑顔に変わる、その逆ばかりだった人たちに幸せあれ。そして爆弾を落とす奴等に天罰よ下れ。