乾杯

 咳が止まらないという女性が、漢方薬を作ってもらう間に、近所のドラッグストアに御主人の酒を買いに行ってくるといって出かけようとしたから、僕にも1缶買ってきてと頼んだ。僕が頼んだのはジュースのようなお酒で、毎日曜日1週間働いた御褒美として飲んでいるもので、分類が分からないから、女性に説明するのに苦労した。ジュースのようなお酒とか、カルピスにお酒を混ぜたようなものとか、酒飲みの御主人を持っている女性にはなかなか理解してもらえなかったが、結局10分後には僕がお願いしていたジャンルのお酒を2缶買ってきてくれた。お願いしていたのは1缶なのに2缶買ってきて、お金はいらないと言う。理由は、僕が平日わざわざお酒を飲む理由を話したら、自分と重なるところがあったと見えて、とても喜んでくれ、私からもお礼と言って、もう一缶をくれたのだ。赤の他人が、それも関西に住む見ず知らずの女性の為に、お礼を言ってくれるなんて不思議かもしれないが、心を病む苦しさを知っているからこその喜びの共有だったと思う。関西の女性が13年かかってやっと克服してくれた喜び、地元の女性が心からそれを喜んでくれた驚き。やはり僕はそういった意味では恵まれているのかもしれない。田舎の人に薬剤師として育てられ、田舎者のような都会の人にも利用してもらい、精神も処方も営業方針もいたずらに誰にも迎合することなく、薬局を営み続けられている。

 「おはようございます。お元気ですか?こちらは大変調子が良いです。出かける前の下痢なんかはまだあるんですけど、咳払いなどが聞こえなくなり気持ちがすごく楽になりました。なんかすごい不思議な感じです。病気の期間がすごく長かったので、ちょっと信じられないくらいです(笑)。お尻から臭いが漏れるっていうのは無いんだと思いました。でも急にお薬をやめるのは怖いので、またお願いします。土曜日着でお願いします。」

 午前中にこんなメールが入ってきた。勿論送り主を僕はよく知っている。幼いときからいわゆるガス漏れで、学校も途中から行っていないどころか引きこもっていた女性だ。僕がまだそんなに多くの過敏性腸症候群の患者さんを抱えていない頃で、一人ひとりをとても丁寧にお世話しながら、研究していた頃だ。カルテを見ると13年前から僕の漢方薬を飲んでいてくれている。13年目にして初めてガス漏れが完治したみたいだが、勿論途中は色々な症状は解決してもらっている。唯一残っていた症状が消えこれでほぼ完治だ。もろもろの症状が改善するにしたがって、外出、車の免許、就職、結婚、出産と全部を手に入れた。ここでPTAの役員などが回ってくる寸前での完治だから、「間に合った」

 「今作って送りました。待ちに待った報告です。とても嬉しいです。喜びをスタッフで共有しました。カルテを見ると13年間の付き合いですね。何も特定できる言葉を入れないから、この素朴な気づきをホームページにのさせてくれませんか。きっと多くの人が勇気をもらえると思います。さっきも学校に行けたとあるお母さんから電話をもらいました。皆治って欲しい。素直にそう思います。ヤマト薬局」    僕はその女性をよく知っている。と言うのは、結婚式に招かれ、その後も、御主人とお子さんを伴って何回か訪ねて来てくれるから。そもそも最初は僕が電車で県外まで会いに行った人だ。最初に会って相談したときのことをかなり詳しく覚えている。過敏性腸症候群がこんなに人の青春を、いや人生を害するものかと驚かされたものだ。衝撃的な出会いは、僕に真剣に取り組まなければならないことを教えてくれた。

 「こんにちは。ホームページに載せてもらっても大丈夫ですよ。13年も経つのですね…大変お世話になりました。それにしても調子が良くなってから何か変な感じです…15歳の時から過敏性だったし、自分では今までと同じだと思うのですが、とにかく周りの人が気にならなくなっただけで全然世界が違います。本当に不思議な感覚です。この状態を維持していくために漢方薬はしばらく続けようと思いますので、よろしくお願いします。」

 彼女が許可をくれるとは思っていなかった。今までは警戒心が強かったから、絶対特定不能の内容でも躊躇って断られていた。でも、こうして許してくれたこと事態が、過敏性腸症候群の卒業試験に合格したようなものだ。もう大丈夫だ。理性が今やっと感情に勝った。これこそがガス型の目指すべき最終到達点なのだ。  今夜は1人で「ほろよい、みぞれいちごサワー練乳仕立て」で乾杯。(商品名長すぎ!)