記録

 朝、ウォーキングをしながら何気なくNHKのラジオを聴いていた。坂がつく名前の人だったが無意識だったので正確には覚えていない。ホサカかコウサカだったような気がする。その人は政治的な立ち居地に関わらず、昭和と言う時代を正確に記録しておく作業をしている人らしい。  何気なく聴き始めたのだが、すぐに引き込まれた。録音の術を持っていないことを後悔するくらい知らなかったことばかりだった、特に印象に残ったことだけ書いてみるが、実際の講演は1時間近くあった。  軍隊と言うのは、3分の1兵を失えばそこでもう機能しなくなるらしい。3分のⅠ死ぬと言うことは、それに匹敵する負傷兵や病人が出ているはずだから。だからその時点で戦うことは無意味で、捕虜になって生き延びる方法をとる。要は兵士を殺させないためだ。ところが日本は、あまりにも兵士が捕虜になるので、上部はどうしたら最後まで戦ってくれるか考えた。そこで見つけたのが、どこかの藩の教訓「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言う、支配階級にとっては都合の良い言葉だ。それまでは上層部も外国と同じように、捕虜になることを叱責したりはしていなかった。だからそれまでは全滅なんてことはなかったのだ。3分の1が死ねば降伏していたのだから。だから全滅などと言う言葉さえなかった。全員が死ぬまで戦わされたりしないのだから。おまけに全滅と言うような言葉では格好悪いから、玉砕などと言う格好つけた言葉も捜し出して最後の1人まで自分の国の兵隊を死なせた。  特攻隊で命を落とした兵隊のほとんどは学徒だったらしい。その理由も腹が立つ。当時学徒の給料は45円くらい。それに引き換え空軍のパイロット一人を作るのに数千円必要だった。だからそんなに金を掛けて育てたものを簡単に殺すわけにはいかなかったのだ。45円しかかからなかった人間は、自爆してくれても惜しくもなんともないのだ。  先の戦争を作戦面で指導したのは、士官学校の卒業生の上位5人の成績優秀な人間達だ。ところが彼らが暗記したのはドイツの兵法で既に時代遅れだった。日清日露では通用したが、太平洋戦争では既に時代遅れだった。徳川270年?の間誰一人外国人を殺さなかった日本人の底流に流れる気質(人口の1割いた武士に儀式を重んじさせ、戦意を失わせないようにエネルギーを発散させていた)を、成績優秀と言うやつらが踏みにじったのだ。  この講演をしていた学者の客観的な話の内容に引き込まれながらも怒りが湧いてきた。折角の朝の美味しい空気も何やらきな臭く感じてしまう。それはそうだろう、当時の人間のそれぞれのポジションに、現代のアホノミクスを支えている面々を組み込むと、当時と同じジグゾーパズルが完成する。企業経営者やマスコミの経営者や御用学者が夜な夜な高級料亭で酒を飲みながら、貧乏人を使っていかに自分達が儲けれるかの話をしているのだから。今日新聞の記事の中でどこかの大学教授が書いていた。金がなくなったアメリカとアホノミクスの個人的な妄想がくっついて、メチャクチャな国になっていると。妄想人間を送り出した山口県の人を恨む。真っ先に殺される人間達を救って!