不便

 人に紹介はよくしているのだが、実際自分でまだ行ったことはない。家族も僕に声をかけてくれないし、かの国の青年達を連れて行くには理由もないしそもそも高すぎる。と言うわけで開店以来、皮肉にも覗いていない。あれだけ建築中は頻繁に様子を見に行っていたのに。  イタリアンのその店の立地は、地元の人間でも素晴らしいと思う。特に窓越しに鏡のような瀬戸内海が広がり、ヨットや漁船が行きかう姿は何とも長閑だ。朝には鵜達が魚を求めて何度も海面下に潜る姿は、長良川の鵜飼をただで見せてもらっているようなものだ。当時はお金がないから、折角岐阜に住んでいたのにニュースでしか見たこともなかったが、今は毎朝でも会える。そんな素晴らしいロケーションで働いている若い人達が、隣の邑久町に家を借り、通ってきていると聞いて、何とももったいない話だと思っていた。瀬戸内市の庁舎がある町ではあるが、邑久町などいわば何もないところで、駅があるくらいなものだ。そんな無味乾燥の町から通ってきて果たして牛窓で商売を続けられるのかと心配していた。ところが昨日薬局に来た人から、スタッフの青年達が牛窓をすごく気に入って、牛窓で借家を探していると教えてもらった。  僕は今の時代、不便と言う概念を経験する機会は圧倒的に減ったと思う。日常で不便を感じることなど一切ないのだ。あれもない、これもないと列挙すればきりがないが、それでも手に入らないものなど何もないのだ。1の便利を手に入れるために、10の不都合を享受しなければならないくらい便利に価値がない。  貸家の情報を集めるのがいいか、しばしば食べに行って売り上げに貢献してあげるのがいいか迷うところだが、頼まれてもいないのだから後者かな。