志多ら

 どう表現してよいのか、いやいや志多らの演奏を言葉で表現できるほど僕に能力はない。 正確さと力強さ。そして演奏しているときの表情。どうしてあの神業のようなバチ捌きが笑顔の状態で出来るのだろう。圧倒的な演奏で多くの観客が息を潜め、満開の藤を目当てに来ていた人たちも、吸い寄せられるように集まり、何重にも用意された席を取り囲み人垣が出来ていた。  今日の演奏の質の高さをひょっとしたら僕の行動が如実に物語っているかもしれない。と言うのは、2度のアンコールが終わって、観客が去った後、今日の出演者全員が舞台に集まって記念撮影をしていた時に、かの国の若い友人たちの希望で、一緒に写真撮影を頼んだときに、僕自身も入れてもらった。写真を撮られることはかなり苦手な僕なのに、出来れば一緒に写真に収まりたかった。それも、志多らの全国ツアーのポスターに出ている女性、これが今まで見た女性の奏者の中でダントツに上手い人だった、と一緒に写真に収まることが出来るなら、苦手などと言ってはおられない。それどころか僕は彼女に感謝とエールの言葉を口にしながら、恥ずかしげもなく、いやいや自然に、握手をしてもらった。まるで芸能人の追っかけみたいだが、出来れば追っかけて志多らの演奏をもっともっと聴きたいと思った。愛知県の集団だから、中部地方の演奏会が圧倒的に多いが、大学で5年いた縁で愛知県なら親しみがある。どのコンサートでも8人分チケットを求めるが、こそっと僕1人で行けば新幹線代も出る。このくらいの贅沢もそろそろ許されるのかなと、いやいや許すのは自分だから、思い切ってもいいのかなと思った。  それにしても、打ち手たちの真摯な姿勢にはいつも感心する。僕だけではなく、聴く人のほとんどの人が拍動にも似た空気の振動に精神を鼓舞されているのではないか。志し多き青年達の熱情が藤棚の下で炎と化す。