備中温羅太鼓

 「オトウサン ワタシ シアワセスギデス」と一曲目から感動ともお礼とも取れる言葉を発してくれたのは、僕のおかげではない。幕が上がるとともに迫力ある演奏を披露してくれた備中温羅太鼓の童チームのおかげだ。童の演奏でこれだけ感動してくれるなら、その次からの大人のチームの演奏を聴いたらどういった言葉を発するのだろうかと思ったら、敢えて何の言葉も発することなくじっと聴いていた。心配になって数曲目が終わったところで尋ねてみると「オトウサン ワタシノウデ ブツブツイッパイ」と答えた。「それは日本語で鳥肌って言うのよ」と教えると「ソウ、ソレソレ」と答えると又、舞台に集中していた。要は備中温羅太鼓の迫力と繊細さ、又精密さに圧倒されていたのだ。  この女性は、総社市民会館に来る前、吉備津神社に寄ったときに、荘厳な建物を前にして「コレハ アマノテラスデスカ?」と僕に尋ねた。少し不確かだったが、なんて言葉を知っているのだろうと思って尋ねると「子供のときから歴史に興味があって、秋に日本にやってくる前に日本の歴史について勉強したらしい。ただ日本に来てからひたすら働き尽くめで、折角の予習も役に立っていない。鳥居の前で「オトウサン ワタシ スカート キョウハ ジンジャ ハイレマセン ココデマッテイマス」と言ってぼくら7人だけで参拝してくるように言った。どうやらかの国では正装でないと神聖な場所には入れないらしい。「日本の宗教は寛容だよ」と言うと、こんな難しい日本語でも通じるらしく喜んで後の7人と行動をともにした。  今日は全員、和太鼓のコンサートは初めての青年ばかりだったのだが、もう一人印象深い女性がいた。彼女は僕の隣の席だったのだが、演奏が終わると僕の掛け声を圧倒する雄叫びで?演奏をたたえていた。常に笑っているとても明るい女性だが、かの国の人には珍しく積極的で、日本人でもなかなか掛け声で応えることをためらうのに、彼女は根っから叫んでいた。  牛窓工場の青年達はもう何度も和太鼓のコンサートを経験してもらっているから、ここまで喜びを表現してくれない。僕が一日感じていたことは「幸せってこんなことを言うのかもしれないな」と言うことだ。少し安全な車を持っていれば誰にでも出来ることだ。休日に時間がある人なら誰にでも出来ることだ。本人が好きなことや行きたいところに単に同行してもらっているだけだから誰にでも出来ることだ。こんな誰にでも出来ることをやっただけで、「幸せすぎる」ほど喜んでもらえるのだ。こんな幸せはない。特別な才能を持ち合わせてなくても、何十人の青年達に喜んでもらえている。そんな僕こそ「幸せすぎる」と一人牛窓に帰る車の中で考えていた。