出来レース

 勝負は決まっている。勝てもしない戦いに善良な職員が立ち向かっているようにしか見えない。ただこの善良も、何にも担保されていない。僕はそれを担う人たちを知らないし、どのレベルのモチベーションを維持しているのかも分からない。所詮公務員だから、割り切りはお家芸だろうし。  どの自治体も医療費の高騰には苦慮している。財政を圧迫している。それを何とかしなければと言うことで、患者データーを診療報酬から集めて病気の傾向を探り、それに対処することで医療費に歯止めをかけようともくろんでいるらしい。国の指導で、ネーミングがなんだかモダンな施策だった。ただそのデータを誰が解析して、誰が実践するのかと尋ねたときに、その答えでこれもまた国の得意なポーズだけだと分かった。予算を誰かが欲しがったのだろう。お友達の役人が考えてやったのだろう。  データを解析するのはIT業者で、医療には無関係。そのデータに基づいて市民を健康で長生きさせる方法を考え実践するのは保健婦。これで高騰する医療費を何とか抑えようとするのから、出来るはずがない。なぜなら医療費を上げよう上げようとしているのは、優秀な知能が集まった製薬会社の集団だし、医師の集団だし、薬剤師の集団だ。それらの知能に田舎の小さな町の保健婦が勝てるわけがない。彼らはありとあらゆる知恵や資本を薬を消費させるために集中させているのだから、善意やそこそこの知識で勝てるはずがない。  もはや勝負はついている。だから何年も医療費が膨張し続けているのだ。わずか数人の職員で何千人の指導など出来るわけがない。せいぜい頑張ってとエールを送ったが、その場にいるその道の責任者達のなんと無表情なこと。形だけの委員会に出席させられ、わけの分からない数字を並べられ、外国語かと言うような縁のない単語を羅列され、何のために自分がそこにいるのだろうと、空しさと歯がゆさが交錯する。  国のレベルのこうしたものも全て出来レース。将来にわたって誰も責任を問われないよく出来たシステムだ。