散歩

 「きれいじゃな、きれいじゃな」と30分くらいの車椅子による散歩の間に、何回も言ってくれた。それは独り言のようでもあり、僕に返しているようでもあった。否定的な言葉は一切出ないから、一緒にいてもつらくはない。いくつの言葉をまだ使えるのかわからないが、長い文章を完成させるのは困難なみたいだ。単語の羅列に近いようなことが多い。一日中施設の中で過ごしているのだから、紅葉は贅沢かもしれないが、せめて生い茂る木々を見ながらの散歩コースくらいプレゼントしたい。僕が訪ねる度に施設の外に連れ出すものだから、規則違反だから遠慮してくれと言われたが、母の残された時間を他人に支配されたくはない。カラスの鳴き声を真似て、空を横断する一群をずっと目で追っている母を、一日中頭を机につけて居眠りをしながら時間を消していく、典型的な痴呆像からせめて一時でも解放してあげたい。  数ヶ月前、二人の姉と訪ねた時に撮った写真を持っていってあげた。分からないだろうなと思っていたら、写真を見るなり「この前来たときの写真じゃな」と言った。そして写真を食い入るように眺めて、何度も何度も頷いていた。あの頷きはなんだろうと思うが、確かめる必要はない。母が何かを思い出したのかもしれないと、良いように勝手に理解しておく。そのほうが希望がある。僕は「分かる?分かる?」を決して言わない。尊厳を傷つけているような気がするから。  特別養護老人ホームなどをまだ見たことがない人は、特に若い人は、一度見ておくといい。必ず万人が行き着く先を教えてくれる。その光景を見たら、誰もが今の若さに感謝し、有り余った時間をもっと大切にし、努力してよりよく生きていこうと思うだろう。どんなに栄華を極めても、老いは、死は平等にやってくる。それも今を嘆いていることを許すほどゆっくりとした歩みではなく。