赤頭巾

 本人は必要があってそうしているのだろうし、通りすがりの職員たちは思わずにこっとして、声をかけてくれたりするからそのままにしておいた。それで誰も迷惑を受けるわけではないし、むしろ笑顔がこぼれるなら、それもまた長年培った母の人徳だ。何十年もお客さんを接待し続けたのだから人を傷つけたりしない。一見絶望的なしぐさの中に何か、秘めたる意識があるのかもしれない。そうでも思わないと、その光景を目撃して平静ではおられないだろう。  妻が着替えの服を持参したビニール製の買い物袋をテーブルの上に置いていた。するとそれを見つけた母はおもむろにそれをたたみ始めた。いつもの光景だ。ところがそれを今度は逆さにして頭にかぶった。と思うと、今度はそれを手で下に引っ張って、まるで銀行強盗のように頭全体を隠した。そしてそのままの姿勢でいるから、窒息してはいけないと思ってすぐに袋を持ち上げて顔を覗かせた。赤ちゃんなら事故が起こりそうだ。いやいや年寄り赤ちゃんだからその種の危険は同じことだ。  顔を覗かせたはいいが、今度はそのポーズが気に入ったのか、ビニール袋の手で持つ部分をまるで帽子紐のようにして、そう、まるで赤頭巾ちゃんのようなポーズを取って身動きしなくなった。話しかけても適当な答えしか帰ってこなかった。一瞬もまともな時間がなかったのは初めてのような気がした。時折傍を通る職員たちが一瞬驚いたような顔をするが、ほとんどの人は面白いものを見つけたように笑いながら、又声をかけてくれながら通り過ぎた。  僕は哀しくはなかった。恐らく母はもう何も苦痛を感じていないのだと思った。何もかもお返しして、何も持たず旅立とうとしているのだと思う。だから、いかにも自然のように思えたのだ。