哲学

 日曜朝の限定ウォーキングはリゾートマンション前の岸壁だ。コンクリートで出来ていて、満潮の時には手を伸ばせば海面に届きそうだから、なかなか気持ちのよい場所だ。時折出かける漁船が波を立てるが、おおむね鏡のように眼前の湾内は静かだ。  最近鵜が住み着いていて、行けば必ず見ることが出来る。それも楽しみにそのコースに決めているのだが、昨日は又、新鮮な体験をした。リゾートマンションと岸壁の間に数軒の新築の家がある。その一つを過ぎた所で岸壁に出るのだが、家を通り過ぎて視界が開けたところで昨日は先客がいることに気がついた。一瞬人かと思ったのだが、実は大サギだった。静かに海のほうを見ていたので人かと思ったのだ。勿論すぐに鳥だと気が付いたのだが、僕がゆっくり近づいても身動き一つしなかった。まるで物思いに耽っているように見えた。近寄りがたい印象すら受けた。  しばらくの間、僕も気を使ってじっとしていたのだが、そのうちある興味がわいてゆっくりと近づいてみた。それはひょっとしたら、僕に敵意がないことを理解してくれているのではないかと思ったのだ。野生動物が、それも大脳など小さくて発達しているようには見えない鳥と、心を交流させようと思ったりしたのだから、僕こそ大脳が発達していない。案の定ゆっくり近づいたが、ほぼ3メートルあたりで飛んでいった。ただ、飛んで逃げたという感じではなかった。それが証拠に20メートルくらい離れた桟橋に降り立って、又同じポーズで静止した。いったいどのくらいがその鳥にとっての許すことが出来る距離なのか試したかったので、僕もゆっくりと桟橋のほうに歩いていった。そして結局は3メートルくらいの距離で又飛び立たれてしまった。  夢想かもしれないが、なんだか僕は心が一瞬通じ合えたように思えた。2回目は遠く飛び立ってしまったが、野生の動物と3メートルの距離はかなり近いのではないか。僕が何か武器をもっていたら危ない距離だ。僕が飛べない動物と言うのは分かっていただろうが、危害を加えない動物というのも分かっていたかのように思えた。
 家に帰って妻にそのことを話したら「大サギが哲学をしていたでしょう。しばしば見かけるわよ」と言った。やはりあの姿は誰にでも印象的なんだと思った。  日曜朝の楽しみが一つ増えた。