昭和

 昨日の話の続きみたいな内容の文章を書こうと思う。  会長の見舞いに行かなければならないと思いながらも、漢方薬の勉強会をかねて行くことができたらいいなと計算高く過ごしていたら、先生が一緒に行こうと声をかけてくださった。先生は義理堅い人だから、膳は急げなのだが、僕は合理主義者だから多面的に日程を考える。ただ、先生は講演活動で忙しいから、見舞いにいける日は限られていた。講演を早めに切り上げて何とか時間を作ってくださったのが13日だ。岡山でご一緒しましょうと言ってくださったのだが、始発から乗れる先生は恐らく席を確保できているはずだ。岡山でいったん降りたりしたら席の保証はない。 気の毒だと思いながら実は僕にはもっと深刻な懸念があった。岡山駅のプラットホームで落ち合うとしたら、先生が乗った新幹線の時間を教えてもらわなければならない。僕は携帯電話を持っていないから、もし家で待機していたら、1時間以上岡山駅までかかるから先生はとっくに岡山駅を通過していることになる。それどころか目的地についてしまう。そこで僕が駅から先生の携帯電話に連絡を入れて時間を教えてもらえばいいと考えた。ところがもう30年近く教えを請うているが、先生が携帯電話を使っているのを見たことがないし、恐らく僕が接する人の中で携帯電話が一番似合わない人だと思う。そこで電話で先生に携帯を持っているかどうか尋ねてみた。案の定先生は持ってはいなかった。「ドネンセイッて言うんじゃ」吉本新喜劇ならこんなせりふが飛び出すだろう。だが実際もまったくそのとおりだ。そこで僕は先生にお願いした。「先生、綿密な計画を練ってください」と。  そのやり取りを電話の傍で聞いていた姪が「昭和の方法でいいじゃないですか」と言った。そうか僕ら昭和の人間には知恵があった。こうなれば糸電話だ。