持病

 70を回った男性が20歳の頃から悩んでいると言うから年季が入りすぎている。持病と言うやつだろうか。50数年患って、本人が相談に来るのだから如何に命にかかわりのないトラブルかよくわかる。が、50年後にも当方の噂を聞いて訪ねて来なければならないのだから、よほど辛いのだと思う。  症状はありふれている。今3人くらい同じ症状の人をお世話しているから珍しいものでも治りにくいものでもない。まして危ないものでもない。ところが本人は50年以上悩んでいる。そして今までどんな治療をしていたのかと尋ねてみると、いくつもの有名な病院や個人医院の名前が挙がってくる。70を過ぎてなお、僕の前でおどおどしているから、よほど心が繊細と見える。ただその繊細さは彼の人生に貢献せずに、むしろ苦痛を与えるものでしかなかったようだ。  たったこの程度の症状で、それも有名な病院にたくさんかかっていて治らないのだから僕は何かあると思った。恐らく人に言えないような何かが。ただそれを言わない限り医師も理解できないから、僕が嫌いなような類の薬を出すことになる。案の定彼がかかっていた病院は、もっぱらその種のトラブルを専門にする病院ばかりだった。特に、言葉の表現がとんでもなく下手な人だから、医師も十分に話を聞いてはくれなかったのだと思う。だから安易に、その手の薬を出されて終わりなのだろう。僕に症状を上手く伝えられないから、果たして医師にはどのように訴えていたのだろうと好奇心も手伝って尋ねてみると、「喉が・・・・・つば・・・・・する」と言う結論ばかりを、いやその言葉しか伝えていないみたいだ。忙しい医師は勿論、暇な僕でも困った。僕は医師のように強烈な薬を出す権利はないからこの程度の情報では薬を出すことが出来ない。そこであの手この手でかたくなな男性をほぐした。そして家族も友人もいないと言う彼の口からこの症状が発症したきっかけを聞きだせた。それはあまりにも気の毒すぎてここでは書けないが、さもありなんと言う体験だった。僕ならわら人形に五寸釘か、イスラム国に頼むような感情の高ぶりを、彼は自分に向けたのだ。人間の出来すぎにもほどがある。聖人君子ならまだしも僕ら凡人が、出来すぎの行動をとる必要はない。自然に任せて怒り悲しみ、そしてその後に収まるところに収まればいいのだ。ほとんどの人はそうやってこの生きづらい世の中を、やり過ごしている。  僕には恐らく彼を治すことはできない。肉親にも、近親者にも、医療にももてあそばれた彼が、僕ごときを信じるはずがない。猜疑心の塊のようになりながらも誰かを頼らざるを得ない人に勝る漢方薬を作る能力はない。