相談

 月曜日から泊まりに来ていた青年が今日帰った。帰る寸前になって姪が彼のところに行き、すこしだけ質問してもいいですかと問うていた。当然彼はいいですよと返すが、何かもったいぶった姪の聞き方だったので僕は少し意識的にそこから離れた。ほんの数分の会話だったと思うが、姪は何か得るところがあったのか丁寧に礼を言っていた。負うた子に教えられるとはこのことだろうか。いや、負うた青年に教えられる・・・だ。  何をそんなに深刻に相談していたのと姪に尋ねると、知人のお子さんが長い間引きこもっているらしい。何とか手を貸してあげたいと思って思案していたところに、遠くから過敏性腸症候群を克服した彼がやってきたから、こことぞばかりに教えを乞うたらしい。彼もまたかつては引きこもり気味だったし、過敏性腸症候群がひどかった頃は、すれ違う人毎に「臭い」といやみを言われていたと信じていた。そうした状況からほぼ脱出してもらえて、今回はお腹以外のことで相談に来たのだが、5日間とどまっている間に姪は彼の人となりを十分つかんでいたから、帰り際に意見を聞いたのだろう。  何回か書いたから知っている人も多いと思うが、僕の娘もガス漏れで学校に行けなかった。克服してから娘が僕に言ったのは「無駄なものは何もない」だった。苦しんでいたときに経験したことや想ったことが、後々に思わぬ財産になっていることに気がついたのだろう。京都から来てくれた彼も見違えるほどの落ち着いた青年に、いや大人になっていた。落ち着きがあり、礼儀正しくて、北海道や沖縄を自転車で一周するほどの体力や気力や勇気も持ち合わせている。おまけに彼女まで出来ていた。今のままでいいと諭す僕にまだ向上したいと言うような相談だったが、漢方薬でお世話するレベルにはもういないと感じた。  相談に来た青年に相談に乗ってもらう。奇妙な光景だったが、僕にとってはとても嬉しい光景だった。