県南ではかなり有名なある方に毎月DMを送っていたのだが、名前の字が何年もの間間違っていた。ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう、奥さんを通じて訂正を申し込まれた。全と書くべきところが金となっていた。金は「キン」と読めば価値あるものの代名詞みたいだからそんなに不快感はないが、「カネ」と読ませばかなり品が落ちる。名前にお金のイメージが投影されるとさすがの人格者でもいやだっただろう。  ところが今日はその立場に僕が立たされた。ある製薬会社から勉強会の案内をもらったのだが、そのあて先が大和彰夫ではなく、大和彰天となっていた。もうずいぶん長い間、数年ではきかないと思うが、同じ封書で案内をもらっているからずっと間違われたままだろう。最近は僕より娘婿宛の郵便物が多くて、宛名に目を通す習慣が出来たから見つけられたのだと思う。  さて、名前の間違っている郵便物をもらうのは、別にいやではなかった。僕の頭にすぐ浮かんだのは「大和エビ天」「大和天丼」「大和昇天」と言う洒落だった。もうずいぶん前の宣伝文句ではないが、余裕の裕ちゃんだ。肩書きもたいしたものでなく、有名でもないから、むしろ語呂あわせをして楽しんだ。僕の名前を間違っていることを製薬会社に言うつもりはない。大切な郵便物が確実に届いているからなんら問題はない。それよりも「天はまだわれを見放さなかった」とばかりに、運を天に任せて気楽に暮らすことが出来たらと思う。