道具

 ただ読み上げられる数字を聞くだけでは実感はまったく伝わってこないが、顔写真やバックグラウンドや人となりが個別に紹介されると涙を禁じえない。自分の経験や誰か大切な人と重ねてしまうからだろう。被災者の前に5分いただけでそそくさと帰っていく市長や、別荘でゴルフをすることが出来るアホノ何やらにせめて庶民並の感性があればと思うが、そんなものがあればもとより選挙には出ないだろう。  あの悲劇は全部自己責任なのだろうか。自分で買ったり選んだりして住んだ場所だから、本人以外に責任はないのだろうか。あんなに山に深く切り込んだ地に、それも急勾配の地に家を建てることが、危険だとは誰も進言しなかったのだろうか。宅地として売り出したり、アパートを立てるときの許可になんら制限はないのだろうか。もしないならせめて危惧でも伝えたのだろうか。  僕は今度の惨事を見ていても、結局は東北と同じように誰も責任を問われず、罰せられず、何か心地の良い、たとえばキズナなどというものと引き換えに泣き寝入りを暗黙のうちに強いられるのだと思う。企業が倒れれば国から莫大な金が出るが、庶民の小さな家が流されてもすずめの涙だろう。政治と言う道具はいつの世も金持ちを守るためのものだ。ルールは彼らを守る為のものだ。