それは僕の原風景を通り越して、恐らくもう一代前の風景ではないだろうか。目の当たりに出来る僕はやはり幸せなのか。 3年の仕事を終えてかの国に帰る子のために、大きなダンボール箱を寮に持っていってあげた。僕は経験がないから良く知らないが、40Kgまでの荷物なら飛行機で持って帰れるらしくて、それに見合った箱を彼女たちが帰るたびに調達してあげる。薬局はそう言う場合便利だ。毎日多くの荷物が入ってくるから、彼女たちの希望にかなう箱は容易に見つかる。 玄関の戸を開けると一人の子が鍬を持って丁度正面にある勝手口から入ってきた。僕を見つけると勝手口の方に来るように手招きした。そして彼女は僕に、戸外用のスリッパに履き替えるように促して「ハタケ、ハタケ」と言いながら先に畑?に降りて「マメ イモ ○○」と濃い緑の葉っぱが元気よく茂った植物を指でさしながら説明してくれた。恐らく1m×3mくらいの狭い土地に数種類の野菜を植えているのだろうが、知らない名前の物もあった。 彼女は丁度畑仕事の途中らしくて鍬を使って土を耕し始めたが、よく見ると裸足だった。前々日の雨で土がかなり水分を含んでいて、見ていてとても気持ちよさそうには見えなかった。「裸足ではないの」驚いた僕は指で足許をさして彼女に言ったのだが、彼女はただ笑顔を浮かべて「オトウサン ダイジョウブ」と答えて鍬を使い続けた。  二人の声を聞きつけて数人が部屋から出てきたが、その中の一人が同じように素足で庭と接している大きな田圃のあぜ道を歩いていって、腰掛けるやいなや刈られた稲を一本手に取り口にくわえた。何をしているのか分からなかったが、僕には遠く離れた故郷を思い出しての行動に見えた。 僕は、いつか見たような光景、と言うのは僕は兄弟が多くて、幼稚園まで母の里で過ごすことが多かったのだが、戦後のお百姓の生活を身をもって体験している。だから目の前のかの国の子達の織りなす光景がとても懐かしく思えたのだ。実際に幼いときに見た光景よりもまだ以前の光景のように思えた。 「○○さん、農業していたの?」と通訳の子を介して尋ねてみると、数人が農家の出で、「○○○○ノコドモ アサ ガッコウイキマス ヒルカラ ハタケシマス」と教えてくれた。道理で仕草が板に付いていた。素足になるのは彼女達にとっては当たり前なのだ。機械で刈られて田圃に整然と並べられている稲を指さして、一人の女の子が「ニホン ベンリ。オトウサン オカアサン タイヘン」と鎌で稲を刈る仕草をしながらしみじみと言った。 ただ箱を届けに行っただけなのだが、こうしたちょっとした光景に出くわし心を洗われる。願わくばこうした感動の体験をもっと若いときにしたかったが、その頃の僕だと逆にこんなに感動を持って接することは出来なかったのかとも思う。  上手くできているものだ。凡人は所詮凡人で終わるように出来ている。