富士山

 別に世界遺産に登録されたから見たいのではない。めったに見れないから見たいだけだ。 余程運が悪いのか、そもそもそんなものか分からないが、新幹線から富士山が見えたことは数回しかない。二軍に落とされそうなプロ野球選手の打率並だ。滅多に見えないから余計興味が湧き、いつか見るためだけに近くまで行ってみたいと思うようになった。  そんなことを漢方薬の注文をくれた神奈川県の方に話していたら、今日メールで富士山の写真を送ってくれた。ご自分が四月に飛行機に乗ったときに写したものらしいが、まだ雪が残っていて、それはそれは綺麗だった。あのアングルからの富士山はあまり目にしないから、結構新鮮で、僕もいつか仕事を辞めたら飛行機で上空を飛んでみたいと思った。  その方が写真に添えてくれている短い文章の中で「お電話でお話しした富士山送ります」と言うのがあった。本当は富士山の写真を送りますと書くのが普通かもしれないが、彼女は敢えてその表現を使わなかったのだと思う。富士山の写真と富士山ではまるきり感情のレベルが違う。「富士山を送る」にはユーモアを始め多くの感情が移入されているが。それに比べて写真では如何にも無機質だ。  ちょっとした表現が多くの印象をもたらしてくれる。たったそれだけのことが一日を楽しくしてくれた。何度も富士山の画面を再生しては、時に漢方相談の方に見せたりした。雲で見えなかったからと諦めて帰る距離ではないので、必死の思いで訪れないといけないが、飛行機ならほぼ見えるでしょうと彼女が助言してくれた。これまで見上げるばかりの人生を送ってきたので、見下ろすようなことは苦手だが、あの雄大な富士山ならばそれも又許してくれるかもしれない。