首を絞める

 とても買う気がしなかった。と言うより買ってはいけないような気がした。 枯れ草を燃やしていて、小さな熊手で周辺部の燃え残りを燃えさかっているところに集めていたら、火の勢いが強くなったので喜んでいた。ところが何のことはない、竹で出来た熊手自体が燃えていた。気がついて慌てて火を消したが、半分くらいは爪が燃えて無くなっていた。それでも何とか用は足すから1ヶ月くらい使っていたが、今日ホームセンターに立ち寄る機会があったので買い換えようと思った。 探しているものはすぐに見つかったが、なにやら様子が違う。大きさの違いを含めて数種類が展示されていたが、どれも爪が金属で出来ているのだ。柄は金属から化学製品から木まで材料は違っていたが、爪の部分は全て金属だった。どう見てもこれが熊手だよなって感じで見てみると、そもそも商品名が熊手とは書かれていない。カタカナで書かれていて、それを覚えて帰ろうとしたが、今こうしてパソコンの前に腰掛けていても名前の断片すら出てこない。恐らく熊手の英語名が商品名になっていたのだろうが、初耳だったので最初の一文字も記憶できなかった。熊手のユーザーがどのくらいいるのか知らないが、みんなそのカタカナ名を使っているのだろうか。もしそうなら、携帯を持っていないどころの遅れようではない。  あれだけ日本中で竹林が厄介者になっているのに、どうして竹で作ってくれないのだと思う。僕みたいなうっかり者はいないと思うが、使えなくなったらちゃんと灰に出来る。環境に優しいというか自然に帰っていける素材ではないか。金属製で作って何のメリットがあるのか分からないが、ちゃんと自然に帰っていける以上のメリットなどあり得ない。 人間という者はよくよく自分で自分の首を絞めるのが好きな動物だ。自然の材料を使い、職人の技術が伝承され、竹林が整備され、埋め立てゴミを作らない。どこか一つでも欠ければ首を絞めていることと同じだ。いみじくも今日福島のある施設が再開し、幼い子供達が川魚を食べている光景が放映されていた。放射性物質が検出されない安全なものと言うが、事故前でも検出されないものなど無かった。0.00の世界では必ず検出されていた。それが今?検出されない? もうすでに不健康を一杯背負わされて日常を送っている人も沢山いるだろう。被害者が被害を意識しない、これ以上の自らの首の絞めようはない。