もし

 彼は浪人中に過敏性腸症候群の相談にやってきた。予備校の授業は勿論、運良く合格してから後も不安だったのだろう。漢方薬が奏功して見事大学に合格したのだが、5月の連休にはもう辞めてしまった。入学したのは第二希望だったが、辞めるほどのレベルではなかった。関西に住んでいる人間にとっては馴染み深い大学だった。余りにも唐突だったので理由を尋ねたら、お母さんの体調が悪いと言うことで、彼が家に帰って手伝うと言うことだった。何の病気か尋ねたけれど確か「悪い病気」とかなんとかごまかされたような記憶がある。 あれから数年経っているだろうか、彼の口から今もお母さんの体調が思わしくないと聞いた。そのせいで眠りが浅く、料理も自分が作っていると聞いた。それだけ聞けばおよその見当は付くし、実際に当たっていた。彼のように若い男性が、家事の真似事をしなければならないほど、お母さんの体調が悪いのだから、自分の体調管理もままならないだろう。 不幸とか不運とか、平等に巡ってくるならそれはそれでいいが、どうもそうは見えない。いくつものそれらに同時進行で襲われている人もいるし、順繰りに絶えることなく押し寄せられている人もいる。だから不運というのだと言ってしまえばそれまでだが、その逆も多いから受け入れることが出来ない。もし母親が元気だったら、もし父親に理解があったら等といくつもの「もし」を重ねなければ辿り着けない平凡に見放されても尚、懸命に生きる若者達が愛おしい。