貢献

 一気に書き上げるほど文章力もないし、体力もないし、時間もないから、今日の出来事に限って書く。ただ明日は、北陸の女性に許可を貰ったから、彼女がどの様な苦しみで生きづらかったのか、そしてどの様にして牛窓に滞在している間に「今のところ完治した」のか書きたいと思う。重症の過敏性腸症候群で苦しんでいる人は明日のブログを読んで欲しいと思う。 昼前にかの国の女性が二人やって来た。日曜日に一緒に玉野教会に行ったり、倉敷観光をした北陸の女性にお別れの挨拶をするためだ。薬局で話をした後3人で2階に上がって行ったが、しばらくして食事だと呼んでくれた。実は3人で昼食を作ってくれたのだ。僕を含めて4人で食卓を囲み、楽しい時間を過ごした。いつもなら箸を置くとすぐに降りて仕事にかかるのだが、今日はゆっくりと話に加わることが出来た。日曜日に知り合ったばかりとは思えないくらい話が弾んだのは、やはりかの国の女性の底抜けの明るさと、長年の病気?からほとんど解放された女性の意外とお喋り好きのせいだと思う。  こうした明るくて和やかな空気が僕の家に溢れるとは誰が想像できただろう。職業柄いつも緊張して、心を完全に解放することが下手な僕が、まるで一度に娘が3人増えたかのように喜んでいる。僕が彼女たちから得ているものを何かで測ることは出来ないけれど、それは僕があまり経験し得なかった趣を異にする特別な贈り物のような気がする。ただひたすらに目の前に現れる人達を、確率というものと戦いながら長年お世話してきた褒美に違いない。決してそのようなものを求めたのではないが、気がついてみると底抜けにお喋りに花を咲かせ喜び合う若い女性達がいた。  かの国の女性達は、明日北陸に帰っていく女性に国から送ってきてくれたコーヒーやお菓子をお土産にことづけてくれた。貴重なものに女性も感激していた。果たしてこの様に無上の親近感を示してくれる友人が彼女にこの10年以上の間いただろうか。帰国したら是非かの国を訪ねてきてと言う友情が芽生えただろうか。目の前で繰り広げられる光景はひょっとしたら今年一番の僕にとっての贈り物なのかもしれない。  仕事に行くために2時頃帰っていった二人だが、出口で振り返り両手でガッツポーズをしながら「○○さん、ゲンキデスネ」と笑顔を残してくれた。北陸の女性が今回完治した?陰の、いや僕ら家族以上の貢献者の二人に心から感謝。