付加価値

 付加価値と言えば何かつけなければならないもの、つければ評価が上がるものと通説では考えられているだろう。1のものが、付加価値をつけることによって2にも3にもなる。ただそれだけのことならいいが、値段もそれにつれて2倍にも3倍にもなる。究極的にはそれを目的にしているのだろうが、その意図を露わにしないのがいわゆる付加価値と見た。 ところが僕の薬局はどうだ。付加価値を徹底的に剥ぎ落とし、シンプルこの上ない。不要の演出はまずないから、いや出来ないから、素のままだ。薬の効果が出るかどうかだけを問題にしているから、とってつけた癒しもない。効果が出ないのに、いい人だなんて言われたくないから、いい人の振りもしない。悪い人でない自信があるから、それ以上脚色はしない。 もう1週間我が家にいる北陸の女性には、全くの素を見せている。僕を含めた家族全員は勿論、薬局の内部事情まで丸見えだ。3度の食事は一緒に食べているし、仕事中は事務所で僕らの仕事を手伝ってくれているから、薬局の光景も丸見えだ。何も隠さないから恐らく見るもの聞くもの初めてのことばかりで、ちょっとしたその道のツウになっているかもしれない。 僕も僕の家族もとても彼女を尊敬している。一人の個性ある、有能な女性が仮初めのスタッフとして一緒に働いている。それ以上でもそれ以下でもない。何も劣ることがない一人の女性が、僕らと同じ時間を刻む。縁が深まった日々が、過去の自分との縁を切る。そうした喜びにとってつけた付加価値など必要もない。むしろ足を引っ張るだけだ。  まるで冗談を言いながら治す。まるで冗談を言いながら治る。僕が理想とするところだ。付加価値など入り込む余地は全くない。とんでもない付加価値こそ真の「不可」価値だ。