擬人化

 昨日歯医者さんに行ったとき、先生が面白いことを言った。その先生は博学で僕などが知らないことを多く知っている。好奇心が強いのかもしれないが。  牛窓は今、結構更地が多くて、何処何処の土地がまだ売れていないなどと言う話から発展したのだと思うが、昔の海は今も海で、昔の陸は今も陸なんだと言う内容だった。当たり前と言えば当たり前だが、その結論は意外と多くの人にとって発想できないことではないだろうか。例えば海岸から数キロ離れたところに住んでいる人が、昔は海の上だたって事を実感として感じられるだろうか。  もう10年以上経っただろうか、後にも先にもあんなに台風で浸水したことはない。余程何かの条件が重なって起こったまれな現象なのだろうが、多くの牛窓の地区で家屋が浸水した。その深さが尋常ではなくて、母の家だって1mを越えていたし、もっと深いところも数あった。台風のコースだけでは片づけられない現象だった。その時のことは多くの住民にとってトラウマで、台風がやってくる度に話題に上る。  ところが今になって思えば、先生の言うように、所詮浸水したところは嘗ての海を埋め立てて住宅地を造成した所なのだ。「目の前まで海水が上がってきたけれど家にまでは入らなかった」と胸をなで下ろした人はまさに昔の海岸線の所に住んでいる人達なのだ。実際、薬局の道路の対面の家は、少し水に浸かっていたが、道路には水は上がってこなかった。まさにその道路こそ嘗ての海岸線だったのだ。それに引き替え、浦とか浜とかの名前の所は駄目だったし、当然と言えば当然だが、嘗ての塩田跡地や嘗ての養魚場を造成したところなどは軒並み相当な深さで浸水した。 僕は先生の話を聞いていて、自然の懐の深さに感心した。何故か自然そのものを擬人化して考えてしまった。まるで意志を持っている生き物のように感じた。畏怖の念とはこんなことを言うのだろうか。