計算式

 教えに背いたという理由で集団リンチにあって、ある会社役員が殺害されたと報道にあった。主導的な役割を果たした人間の肩書きも会社役員とあったから、世間で言うとそこそこの人達が、方や被害者、方や加害者になったことになる。もったいない話だ。何を求めて宗教の門を叩いたのか知らないが、そもそも世間で言う成功者なる者が、ひょっとしたら自分よりずっと下級の人間を師と仰ぎ信じたことになるのかもしれない。しばしば繰り返される悲劇だが、宗教の恐ろしいところで、ごく普通の、世間が何千年もかかって築き上げてきた常識さえ簡単に否定して壊してしまう。誰かの思惑が、無批判のままいとも簡単に受け入れられてしまうのだ。 いくら美辞麗句を並べて、いくら信心を気取っても、胡散臭さなどいとも簡単に見破られるだろうと思うのだが、見破るべき人達が、それこそ無批判に受け入れる癖を持っている人達だから、化けの皮は滅多にはげるものではないらしい。余程の事件でも起こさない限り密室の出来事で終わってしまう。誰かが極端にいい目をするからには、多くの人間がそれに見合うだけの物を貢がなければならない。至って簡単な構図だ。力やエネルギーと同じ計算式で成り立つ。何事も何処かでプラスマイナスゼロになるようになっているのだ。 そもそも一つ所で一つの価値観だけを至上のものとして教えてもらう必要など無い。何千年も前、それこそ生きるだけで必死の時代なら、単純な価値観に導かれれば良かったのかもしれないが、何千、何万倍もの智恵を持ってしまった時代に、画一的な教義で生きていけるほど人生は単純ではない。  不安な時代だからこそ、人はなにかにすがろうとするが、耳に心地よい言葉にはくれぐれも気をつけた方がいい。