境地

 今から思えば何の根拠もなかったが、僕が治してあげれない心のトラブルは、聖堂で頭を深く垂れれば少しは改善してもらえると思っていた。そう思って何人か連れていったが、誰一人それで改善するようなことはなかった。安易と言えば安易だが、どんな手段を使ってでも僕を頼ってきてくれる人には改善して欲しかったから、一時期そうした行動をとったのだろう。生き神様が闊歩するようになって僕自身が目を覚ましたから、今では懸命に知恵と誠意で向き合うようにしている。 煉瓦工場で働き続けて塵肺になり、酸素を常に携帯していないと生きていけない。家族に連れてきてもらったが、思うように会話もできない。田舎薬剤師の力など当然信じていないから、僕の顔も見なかった。抜群の距離感の嫁に世話をしてもらっているが、どんな強い薬を病院でもらっても頭痛を改善することは出来ないらしい。最初の2週間では全く効かなかったが、2回目の漢方処方がとても効果があって、数年ぶりに頭痛からかなり解放された。その時に復活した笑顔と雄弁は今日の僕の宝だ。  今日は連休明けだったからだろうが、多くの人のお世話をさせてもらった。突然の呼吸困難と焦燥感で救急で駆け込んだ男性は、5種類の薬をもらったが全く改善しない。不安だったらいつでも電話をしてくるように言って、酒もゴルフも復活したらと言って漢方薬を渡していた。酒もゴルフも復活してパニックがでないと喜んでいた。公共の乗り物に乗りづらい男性が、少し乗れるようになったと報告してくれた。才能ある人だから復活して持てる能力を発揮して欲しいと願っている。学校に行けなくなりかけていた少女が、学校に行けだして、運動会を楽しみにしているとお母さんが教えてくれた。もしあのまま不登校にでもなったら、家族にも大袈裟に言えば国家にも損失だ。いずれ成長して生産活動に若者は全員ついて欲しい。それが健全な国だし時代だ。部下を持つ女性は息苦しさと動悸で仕事に対するモチベーションを落としていた。涙を流すこともあった。今は全く仕事に対するマイナスの気持ちはなくなった。   この方々以外にも心のトラブルの方がもう数人来られたが、本当に僕の薬局の質を高めてくれる人ばかりだ。生真面目で善良故に陥ったトラブルを僕は病気とは思わない。頑張りすぎ病と勝手に名付けているが、病気ではない。そんな方々に僕は何度も披露するが、酒やパチンコ、不道徳を勧める。頭に来れば素直に怒るように、人の悪口や批判も言いたい放題でいい。いい人を演じることを止めてもらう。そうしないと漢方薬だけでは元の体調には戻れない。頭に来たら頭に来たように振る舞えばいいのだ。そこで僕が嘗て頭を垂れながら教えてもらったような神様のような解決方法などをとると、救われる前に自滅して果ててしまう。僕は心を病んでいるだろう人を嘗ての楽しかったごくありふれた日常に戻ってもらう仕事をしている。難しい心の鬱屈を治すのに、聖人君子みたいな要求は禁忌だ。ストレスが内臓深く、腸まで届き免疫を落としてしまう。怒りを露わに、善人ぶらず口から出せば、ストレスは胃袋辺りで消えてくれる。身体へのダメージはしれている。 30年の経験から行き着いた我流の境地は、結構多くの医学的見地と一致している。こんな田舎に運悪くか運よくか知らないが立地したおかげで、多くの人間模様を見ることが出来たからかもしれない。頼ってきてくださる人には誠意を持って向き合い、力が及ばない方は信頼できるお医者さんに紹介する。やはりこんな当たり前のコースしかないのだ。