代行

 「どうなっとるんじゃと思う」。標準語に直すと「どうなっているのかと思う」。男性がいわば照れ笑いのように言った。  二十歳の息子と80歳のおじいさんがほとんど同時に胃腸風邪をひいた。脱水症状が激しくて方や入院して点滴を受け、方や薬はなにも飲まずに「もう何回も下痢をした」と言いながら沖に船で出てまだ冷たい風にあたりながら漁をしている。病院に行った方の診断はノロウイルスだったらしいが、別に珍しいものではない。行かなかった方も当然ノロウイルスによる感冒で、風物詩のように毎年はやっているものだ。男性の照れ笑いは二人が同じ風邪をひいて真逆の対処の仕方をしていることに原因がある。照れ笑いを越して嘆きのようにも聞こえる。何故なら、入院して点滴を受けているのは二十歳の息子で、下痢をしながら船を操り漁に出かけたのは80歳のおじいさんだからだ。これが逆なら彼も特別嘆いたりはしなかっただろうが、まるで笑い話のような逆転に自嘲気味の笑いでごまかすしかなかったのだろう。「今の若いもんは情けないなあ」と「昔の人はやっぱり鍛えとるな」は同じ彼の言葉で同義語だ。  生まれたときから色々な病気をして自然免疫を獲得して来た世代と、生まれたときから病気は薬が叩いてくれるもので通ってきた世代との違いだ。統計的に見てどちらがいいのかは分からないが、何もかも代行できる時代に余程意識して立ち向かって行くものを作っていないと、生きることさえ代行してもらわなければならなくなるかも知れない。