隣人

 今頃どうしているだろう。昨夜薬局を出る前には涙を流していた。机から立ち上がっても薬局から出ていくのにずいぶんと時間がかかり、行き場のないため息を丁寧に床の上に並べていた。平常心で職場に行き、平常心で職務をこなし、平常心で退社しただろうか。 どうしても許せない人が同じ職場にいる人は案外と多いのかもしれない。いや見ず知らずの人だったらいくらでも寛容になれるのだけれど、同じ屋根の下ではその人の多くが目に見え耳に入るから、いちいち気になってしまう。多くの情報が入れば受け入れられないものも当然多く、許すことが出来ない関係も容易に作られる。息が詰まり脈が乱舞し思考が停止する症状を僕の漢方薬がとれるかどうかが今日から試される。  私はどうしたらいいのでしょうと尋ねられたから「絞め殺してスッとして刑務所に入るか、あるいは・・・・」と僕の嘗て得た教訓を話した。僕はすぐに解決できる前者を薦めるが、どうやらそんなことが出来る人ではない。 誰も僕のためになんて生きてくれるはずがない。僕が嫌いな、苦手な人にだって優しい家族がいて、頼られる地域や会社の仲間がいるはずだ。単に僕にとって不都合なだけで圧倒的な数の人に支持されているにちがいない。僕のことなどこれっぽっちも配慮する義務も必要もないのだ。こんな当たり前のことが分かってからは僕は不正義以外はほとんど受け入れられるようになった。彼女にもほぼこの下りと同じようなことを喋った。果たして今日これが少しでも実践できたかどうか。明日の朝刊に彼女の名前が載っていなければ、僕の漢方薬が効いたか、彼女が少しだけ寛容になったかだ。   どうやら対人関係は、負ける人はいつでも負けるようだ。その負け方の中に輝く個性があることに気づいている隣人は一杯いるはずなのだが。僕もその女性が人を負かしている姿を想像も出来なし、見たくもない。