被害者

 自覚できない被害者が、自覚している被害者の集団の前を、何もなかったように通り過ぎる。年末の大売り出しの巨大電気店からは、幸せを買った人達がわき目もふらず吐き出されてくる。近い将来一番被害を体感しそうな脚も露わな少女達が、配られるチラシを受け取ることもなく急ぎ足で通り過ぎていく。何十年も前この様な光景を何度も見たが、当事者になるのは多くの人にとっては面倒なことなのだろう。  ただこの行為が如何に生産性が低いとしても、やらなければならないのだ。如何に自己満足に近くてもやらなければならないのだ。100人くらいの参加者だから、岡山県の2万人に1人が参加したことになる。例えは悪いが交通事故で亡くなる確率くらいなのだろうか。いやいや今年の岡山県は県警の努力ですこぶる交通事故が減ったから、全国的な確率と比べてと言わなければならないか。まあいずれにしても如何に少ないかと言うことになる。ただ、交通事故はもっともっと限りなくゼロになって欲しいが、今日の集会やデモ行進はもっともっと逆に増えて欲しい。 いつの時代かと思われるような情報統制が行き届いて、罪人達が安泰だ。ただし時を刻む毎に、確実に幾千万の人達の遺伝子は複雑に破壊されている。体内に取り込んだ放射性物質が手加減などはしない。冷徹に時に比例して遺伝子は混乱を起こしていく。自分の身体に症状が出たときに誰を恨んでどの様な行動を起こすのか知らないが、それでも尚人ごとのように病に伏す姿が見える。我が身を守り、家族を守り、友人を守り、与えられた命を削らない確かな意志は、寒空の下、歩道で凍えていた。