鎮魂歌

 過敏性腸症候群の若い女性が専門医を受診した。当然内視鏡などで精密に検査してもらったのだろうが、悪いところは見あたらない。ガス漏れ症状の苦痛を訴えると医師は「こんな患者は面倒なんだよな、だからやりたくないんだよな」と言うような趣旨の発言をしたらしい。そんなことを言われると患者としては居場所が無くなるだろう。過敏性腸症候群の人は大概がとても繊細で人を責めたりするのが苦手だから、こういった場面で医師を罵倒して出てくるような人はいない。恐らくかなり打ちのめされて退出したのではないか。 こんな体験をすると、治るものも治らなくなる。人間不信を増殖させるために受診したようなものだ。ただでさえの人間不信が輪をかけたようなものになる。完全に上から目線で一見恫喝しているようなものだが、僕にはそうは思えない。治すことが出来ないことを見抜かれたくないのだ。寧ろプライドが傷つけられて怯えているように聞こえる。私には治す自信がないと言えばいいものを、居直っているようにしか見えない。  患者の日常生活は恐らく針のむしろに座っているようなものだ。何処にいても誰といても、緊張状態から解放されない。いつもアンテナを上げて、心は戦いのモードだ。こうした極端に低い生活の質が治療の対象にならないのだろうか。面倒だと言っても高給が約束される職業が羨ましいが、そうした言葉を身につけてしまった人間性は頂けない。決してなりたくない人間の一つでもある。  僕はこんな面倒な状態に陥った人達が好きだ。だからやりたい。呪縛から解放されて本来の力や性格を取り戻してもらったときの喜びは何にも代えることが出来ない。それは嘗て同根の落とし穴に落ちたあの頃の僕への鎮魂歌でもあるのだ。そして人生でもっとも恐怖を感じる世代(18歳から25歳)へのエールでもある。