地産地消

 「してやったり」と国の偉い人は思っているだろう。インターネットの中に以下のような記事を見つけた。  福島県産の野菜や果物に含まれる放射性物質を自主的に測定し、安心して食べてもらおうという取り組みがじわりと広がっている。東京電力福島第1原発事故から8カ月がたち、汚染度は野生キノコなど一部を除いて低下した。流通業者らは「消費者に正しい情報を示した上で、農家の応援につなげたい」と意気込みを語った。通信販売のカタログハウスグループは8月、東京・新橋の店舗で福島産農作物の販売を始めた。味と安全にこだわる農業を続けてきた生産者団体から「買い控えが起き、農家が意気消沈している」と聞かされたのがきっかけだ。入荷のたびに放射性セシウム検査を行い、店頭で数値を表示している。検出できる最小値は1キロ当たり10ベクレル。野菜はほとんどが下回り、果物は同20ベクレル程度が検出されることはあるものの、国の暫定規制値、同500ベクレルを大幅に下回っている。客は「思ったほど汚染されていない」「数値が示されていないものより安心」と買い求めていくという。担当者は「ただ『福島を応援して』と言うのでなく、測定した上で安心して食べられると伝えている」と話す。  言いようのない怒りがわいてくる。誰かがほくそ笑んでいるのが見えるようだ。まさにしてやったり。こちらから言えば、まさに「してやられたり」だ。安心して食べれば安全だというのだろうか。安心は作意だが安全は事実だ。事実を作意でねじ曲げてくる常套手段を民間が踏襲している。基準値より少ない10ベクトルは安全と言われるのと、ほとんどゼロに近かったセシウムが10ベクレル検出されたというのでは、同じことを言っていても印象は全く違う。カタログハウスという会社は後者のように表現すべきだ。カタログで何を売る会社か知らないが、こんな作為的な表現の「もの」を信じることは出来ない。セシウムが基準より大幅に下回っていると言うが、3月11日以前を基準にすると大幅に上回っているのだ。実物を見せないまま物を販売する会社が、言葉の綾を利用するのは頂けない。10ベクレル以下を検出出来ない器機で測られてどうして安心して食べられるのだろう。福島の農家を応援することと国民の命を守ることとは両立されなければならない。あたかも対峙するような空気を作れば又偉い人達がほくそ笑む。福島の作物は東電と政府のエライ方、役所の人間、誘致した地元の偉い人達で食べてもらおう。彼らが好きな言葉があるではないか、痴産痴消って言う。