変換

 嬉しい、けれど合わない。かの国の若い女性二人が、手作りのおかずとデザートを持ってきてくれた。妻と二人分にしては量がかなり多い。自分たちの食欲で量ったのだろうが、3分の1で充分くらいだ。数年前、当時牛窓にいた同じ国の人に作ってもらった経験から、その脂っこさについていけないのだ。食後のデザートも、いわゆるスイーツなのだろうが、微妙に加減が違う。デザートはその場で勧められて食べたが、美味しいと無理して言った僕の表情に気がついたかもしれない。たった美味しいと一言嘘をつくのにも顔が硬直してしまう自分が情けない。  一緒に派遣されていた通訳が国に帰ったから、今日は通訳なしだった。2時間以上話したと思うが、何か業をしているかのようにエネルギーを消耗した。純朴な笑顔を絶やさないから癒されることは大きいが、その代償も大きい。こうなったらいっそのこと英語の方がまだわかるかと思ってそれも試みたが、かの国の人は僕の発音は全く理解できないみたいだった。いわゆるジャパニーズイングリッシュは通用しないのだ。逆に彼女たちの発音はネイティブに近いように聞こえた。そう言えば彼女らの母国語が舌を丸め発音しているように聞こえ、聞き取りがいっさい出来ないから、ひょっとしたら英語を発音するには都合がいいのかもしれない。会社の人であなた達の国の言葉を使ってくれる日本人はいるのかと尋ねたら、一人もいないと言っていた。もう10年近くかの国の人が働いているのに、誰も挑戦しないのだろう。もっとも彼女らの会話を聞いていると、その壁が殊更高いだろうことは容易に想像がつく。  次回会ったときに食事のお礼を言わなければならないので、どの料理も少しずつ食べてみた。実際に食べておかないと又顔が硬直するので一応は食べたが、すぐに後口にご飯と海苔を食べた。放射能を避けてかの国に逃げなければならないかと思ったこともあるが、これでは逃げられそうにない。日本人の印象を尋ねたら二人が口を揃えて親切と答えた。逆に私達のことをどう思うと尋ねられたから素朴と答えた。もっともこれはインターネットの翻訳機能で伝えたのだが、上手く伝わったみたいだった。それが証拠に二人が目配せをして笑っていたから。本人達にとってはあり得ない評価だったのかもしれない。「本当はワルよのう」と続けて変換を試みたのだが、これは変換不能だった。良かった、いらぬことを言わなくて。