封印

 大きなスーパーの駐車場に車を乗り入れた瞬間、正面に警察官が立って行く手を塞いだ。反射的にポケットの上から手を当てて免許証を確認した。この場面でとがめられるとしたら免許証不携帯か僕の人生の後ろめたさくらいしかないから、取り敢えず前者はクリアした。後者は留置場で警察官と面と向かって数ヶ月の自白でも足りないだろうからこの場でおとがめはないと見た。 警察官を見て慌てるのは僕の青年期からの癖だが、さすがにその傍に10人くらいのたすきを掛けた奥さん方がいたから、逃げ出す体制に入る必要はなかった。窓ガラスを下げた僕に警察官が顔をのぞけて「今日はシートベルトを・・・・・」と説明してくれた。短い棒読みの説明の後、一人の奥さんが近寄ってきてなにやら景品をくれた。こうしたシーンは時々テレビニュースで放映されている。すぐに僕も交通安全運動の一環だと理解できたのだが、見回してもテレビクルーがいない。こんなチャンスは滅多にないのだから、僕が景品をもらって微笑んでいるところをニュースで流してくれればいいのにと思った。又コメントの一つでも促されれば、粋なのを残してあげるのにとも思った。カメラ目線で少し照れながら、出来れば地方の雰囲気を醸し出すために、又人の良さを出すために、華麗な標準語ではなく岡山弁で答えると好感をもたれるに違いない。「今日は突然プレゼントをもらって、うれしいずら。てめえを守るためにシートベルトはちゃんとするずら。皆さん方も大変ずら」と。  あってもなくてもかまわないような日曜日が、あってもなくてもかまわないような人生を騒々しく横切る。何もかもが小さくたわいもないものに見えてしまう。素通りする時間を呼び止める気力も体力もないが、取り残されて失うものもない。とっておきのカメラ目線も今日は封印だ。