電話番号

 ある会社に品不足の電話注文をしようとしてふとその下にある名前に目が止まった。電話番号が勿論書いていて、携帯電話の番号だった。漢方の会社の重役だったから、本来なら会社の電話番号だけが分かればいいのに、個人の携帯番号を電話帳にわざわざ書き留めている。僕にとって個人的に大切な人だったことが分かる。もう随分前に亡くなったような気がしていたが、携帯電話が日常的に使われていた時代なんだからまだつい最近の出来事だったのだと認識した。只、今その番号に電話するとどうなるのだろうか。只今使われていませんとアナウンスされるのか、電話に出られませんとアナウンスされるのか、それともコールの音すらしないのか、それとも天国にいる彼にかかるのか、それとも地獄にかかるのか。 本来一取引先でしかないはずの僕だが彼はとても親切にしてくれた。僕の漢方に対する取り組みを評価してくれたのかどうか分からないが、そもそもその取り組みを教えてくれたのは彼だ。漢方薬を勉強しないと薬局に来てくれる人のお世話なんて出来っこないこと。サロンパスとかリポビタンとかどこにでもあるような商品では人を治すことは出来ないとか、漢方薬だからと言って経済的に裕福な人ばかりを相手にするような薬局になってはいけないとか、僕ら共通の先生から教えて頂いた知識を、むやみに知ったかぶりをして口外してはいけないなどと助言してもらった。僕はその全てを頑なに守っているが、ただ一つ、最近とても熱心な女性薬剤師が隔週やって来ては質問を連発される。最早電話が繋がらない彼との約束を守りたいし、正しい答えを彼女にしてあげたいし、確執の数時間を隔週送っている。  奥さんと別れて一人暮らしをしていて、アパートで死後数日たって発見された彼はカップラーメンの食べかすに囲まれていたという。重役だから収入は十分あったのだろうが、荒れた生活をしていたのかもしれない。人の前では微塵もそんなことは出さずに恰幅の良いお腹で肩書きを表していた。最初知り合った頃は彼も又一介のセールスだったが、全くの初心者だった僕に常に的確な助言と慢心を諫める言葉をかけてくれていた。今の僕の実力で人に教えるようなことは出来ない。生きていたら彼やもう1人の漢方の先輩が若い人達を引っ張っていく役割を担うべきだったのかもしれない。どちらも十分力を発揮できる前に若くして亡くなったから、生きていたらどれだけの実力者になっていたのか想像もつかないが、亡くなっても尚僕にとっては、当時の二人との差を感じてしまうのだ。  世に多くの自称カリスマ薬剤師がいるが、謙遜を旨とする薬剤師には滅多に会えない。彼らは人前には出てこないし、自分で自分を評価したりはしない。もっともっと実力を発揮して多くの人をお世話できていたであろうその二人との約束を破りたくない。繋がらない電話帳の番号を発見してそんなことを思った。