ドクダミ

 嘗てその肩書き故にとてもまともには話すことは出来なかった。この町の青年達は選挙もしばしば手伝わされた。陰の知事とまで言われた人のオーラは青年には強烈だった。 そんな人も引退して一市民になれば、こんなに穏やかな表情をした人になるのかと驚きだった。嘗ての多くの人を従えていたのが本当の姿か、今の穏やかな表情が本当の姿か分からないが、当然僕には現在の方が歓迎すべき姿だ。今まで30年以上お世話したことはないが、いやお世話させてもらうような関係にはなかったが、身内の方に漢方薬がとても好評を得たので、本人がやってきてくれた。肩書きから言って、大病院の偉い先生くらいしかかからないだろうから、僕の所に漢方薬を求めに来てくれるのは本来なら考えられないことだ。しかし嘗ての肩書きが全く邪魔しなかったので、他の人と同様に充分な問診と適切な漢方薬の選択が出来たと思う。  その人が面白い話をした。長崎で原爆に遭遇したらしいのだが、被爆してから数ヶ月たって、長崎に何かの仕事で再び入ったらしい。多くの人が拒否する中で、人のいい奴ばかりが行ったと言っていた。そこで見た光景が面白い。何も植物は生えていないのに、ドクダミ(十薬)だけが生えていたらしいのだ。それを見たおばあさんが、ドクダミは原爆の毒も出すと言って、せっせと煎じてくれたらしいのだ。おかげで長生きが出来ていると言っていた。ドクダミ放射能の影響を軽減してくれるのかどうかは分からないが、身体によいことは確かだ。ドクダミが効いたのか、おばあさんの愛情が効いたのか分からないが、ドクダミの生命力は確かだ。漢方薬をやっている僕にはとても参考になるエピソードだった。  嘗ての高嶺の花がドクダミのエピソードを話し、今でもドクダミのような薬剤師が辛うじて枯れずに残っている。人の本質を見抜くのは難しい。見抜けないから魅力なのかもしれない。煎じ詰めないのが漢方薬和漢薬の違いだ。さすが日本人、薬にまで間を持たしている。