風評被害

 親切な人もいるものだ。匿名だけれど母の痴呆を心配してくれている。息子が二人近くに住んでいながら、非情なのではと言う言外の声も聞こえた。僕はひたすら親切を感謝する言葉を連発した。全くの部外者に対してそれ以上の答えは出来ない。 その女性は声からするとかなりの年配に聞こえた。しばしば母と同じバスに乗り合わせるらしいから、母の不可解な光景を目撃することが多いらしい。その一、家の前でバスを待つ間、手提げ鞄を開けたり締めたりしている。その様子が尋常には見えないのだろう。その二、当然下りるべき薬局の近くのバス停より一つ手前で降りたりしている。その三、バスを待たずに2kmをこの暑さの中を歩いて薬局まで行っている。見ておれないからお節介だけれど連絡したのだと言う。  教えてもらわなくてもこの一年母の衰え行く能力を嘆かない日はない。僅か一年前には何を任せていてもほとんど完璧にやってくれていたから、急な衰えは否が応でも目につく。ただ九〇歳を過ぎた母の衰えは、記憶力だけだと思っている。人格はほとんどと言って破壊されていないように感じる。毎日数時間薬局に来て一緒に過ごしているからその事に関してはまだ安心している。さすがに嘗ての持っている性格が先鋭化されたような側面はあるが、それは決して人格が変わったようには感じない。娘夫婦が病院用の調剤などを集中的にこなしてくれるようになって、自ずと僕が漢方薬を多く分担するようになった。混雑しているとき以外は僕が黙々と煎じ薬などを作っている光景が、母には心配なのだ。患者さんの相談をしているときは動きがあるからまだ楽しそうに見えるかもしれないが、煎じ薬を作るのは単なる作業だ。うつむき加減で奮闘している息子を見るのが、それを手伝えない自分が歯がゆいらしい。薬局に来たらすぐに掃き掃除を始め、接客後の湯飲みを片づけたり、細かい気配りは昔のままだ。ただ現役で薬局を六〇年もやってきたから薬局業務を手伝えない歯がゆさがあるらしい。夕方になるまで昼食がとれない時など一人僕を心配してくれる。何度も何度もご飯を食べたらと忠告してくれる。  そんな日常を繰り返している母でも他人様から見れば上記のような印象なのだろう。一に関して言えば、手提げ鞄の中に入れた鍵の確認だし、二に関して言えば、一つ手前のバス停の近くにある兄の化粧品店に寄ってから来るからなのだ。三に関してはこちらが脱帽する。この二週間くらい母は右肩が落ちてかなり不自然な格好をしていた。背中が横に曲がっているように見えた。少し痛みもあったそうだが、最近歩いていないからと考えて意識的に毎日歩いてみたそうだ。そう言えばその甲斐あって以前のように背筋が伸びている。痛みも消えたらしい。僕が渡していた湿布薬も結局は貼らなかったらしい。  親切な電話の風評被害に負けて思わず強引に母を呼び寄せようかと思ったが、「一緒に住む?」と尋ねると必ず悲しそうな顔をして、「もう少し一人でいさせて」と言う母の意志をもう少し尊重しようと思った。