共食い

 せっかくのお土産だが、これでは共食いになる。 ある若いお母さんが念願の福山雅治のコンサートに行って来て、お土産を持っていつもの漢方薬を取りに来た。2つくれたお土産のうちの一つが「追憶の飴」というタイトルと共に彼の上半身の写真が印刷された飴だ。さすが人気者だけあって、飴にまでタイトルが付けられている。ただドアップの写真が載っているから、僕にとっては自分で自分の飴を食べているようなものだ。ほとんど共食いになる。  福山雅治のファンは多いと見えて、薬局でも話題になることが多い。この2つのお土産はなるべく手をつけずに長いこと置いていて、熱狂的なファンに悔しい思いをさせてやろうと思っている。頭に浮かぶだけでも、数人候補者がいるから今からわくわくする。  お土産をくれた女性は「もう治ったのかと思った」と言った。それはそうだろう、最高の心の高ぶりが今まで停滞していた気を巡らせ、その結果血液を巡らせ水を排泄したのだろう。(漢方で言う気血水の理論だが)心や身体の状態を最高潮にしてくれたのは間違いない。3時間のコンサートが僕の漢方薬の2週間分より高いのだから、そのくらいの効果がないと意味はないが。  例えば彼女のように、元気になるための動機付けが誰にもあるといい。元気になったらやりたいことがある、元気になったら行きたいところがある、元気になったら会いたい人がいる。どんなものでもいい、それがあるとないとでは回復力に大変な差がある。振り返るものしか持たない人間でも、少しは明日への理由があっても許されるだろう。