木の葉

 今度の震災で無限大の不幸を超えて多くの力強い言葉が生まれている。 その中で今のところ一番耳に残っている言葉は、名前は知らないが時々テレビで顔を見ていた一人の僧だ。僧と言うより小説家と言った方がわかりやすいのかもしれないが、僧であり小説家でもあると言う表現が風貌から推察すると正しそうだ。彼がテレビの対談で述べた言葉に「死に甲斐がなければ意味がないじゃないですか」と言うくだりがあった。今度の地震津波で多くの方が亡くなったが、彼のお寺は原発避難区域の中?か周囲?の筈なのに村に残り亡骸を弔うのだそうだ。丁寧に弔い、残された人達の心に何かを起こさなければ死んだ意味がないというのだ。この考え方は僕には衝撃的だった。もし死ぬことに意味を持たせることが出来れば、死は終わりではなく経過になる。すべてが終わってしまうから死を恐れるし、逆に自分で死を呼んでしまうのだが、意味を持たせることが必要となると頑張って見事に往生しなければならない。 亡くなった警察官、消防士や団員、医療従事者、介護従事者、公務員などの勇気ある行動が多くの命を救ったと伝えられているが、これこそが死に甲斐を実践した人達だ。美しい語りぐさになるのは本人も家族も決して望んではいないだろうが、あの僧の言う「死に甲斐」を明らかに実践している。  庶民には劇的な人生を送る事が出来ないように、劇的な終わりかたもできないが、せめて人の心の中の木の葉一枚くらいは風で揺らせてみたいものだ。