醜男

 正解のなさそうな政治についてコメントするのは気が引けるが最近の流れについての素朴な感想。全くの素人だし、田舎でのんびり暮らしているから見方が狭いかもしれないが、そう言った前提にまず許しを請うておきたい。 青年期、田舎に帰ってきてまず町の有力者の全員に近い人が自民党の応援者だったことにとてつもない息苦しさを感じた。実力者達も僕の薬局に来てくれる消費者の一員だから、町政に不満を持っていても口には出せなかった。別におべっかの一つも言ったことはなかったが、反論もしたことはない。自分の心情は口には出されない状態がそれこそ政権交代が行われるまで何十年も続いた。政権が交代するかもしれないと言う時期から町民の口が一気に軽くなったことに気がついた。今まで我慢していたことが堰を切らしたように口から出てきた。ああ、この人はこんなに進歩的な考えをしていたのかとか、この人はこんなに正義感に溢れていたのかとか見直すこと、見上げることしきりだった。それに反して勢いを失った嘗ての偉い人の凋落ぶりも手に取るように分かった。僕はその変化を「よい目をする人達の交替」と捉えた。政権交代とは簡単に言えば「長年うまい汁を吸っていた人達が、攻守交代すること」だと感じたのだ。今まで苦汁をなめていた人達がやっと日の目を見れること、逆に今までよい目ばっかりしていた人達が今度は我慢することが政権交代だと思った。 ところが実際はどうだ。夢を語った前首相は、部下の手助けなく失脚し、その失脚を虎視眈々と狙っていたような現首相に交替し、自分が総理大臣でおれることだけを唯一の目的化した執着に国民が翻弄されている。実はこの10年余り、政治の流れはあの憮然としたカメラ写りが最悪の人の思うように進んできたのではないか。見かけの悪さからどんなに正論を繰り返しても、マスコミには揶揄されるが、政治家としての信念のまま進んできたように見える。彼の仕上げの段階になって、嘗て一度だけ貝割れ大根を食べた功績にしがみついている男やテレビ写りだけに興味を持つ女傑に本来持ってもいそうにない正義感を振り回されて窮地に陥らされている。ネタづくりが生活の糧のマスコミは国民のほとんどが関心もない「○○問題」をいつまでも引っ張って商売に励んでいるが、国民はそんな抹消の問題に振り回されるほど生活に余裕はない。  マニフェストを実現してくれるから入れた1票を返して欲しい。何十年も日の目を見なかった人達に日の目が当たると思って入れた1票を返して欲しい。民主党を出て行けと言われるのは寧ろ今内閣を構成している人達ではないのか。今入閣している人達をいったいどのくらいの国民が支持して投票しただろうか。前回唯一潔癖に信念を貫こうとした大臣が更迭されたとき、実は「市民運動出身」の化けの皮は剥がれ落ちたのだ。今政権にいて心地よさそうな人達がいったいどのくらい票を稼いだつもりなのだろう。恐らく、醜男だけれど愚直なまで政権交代を目指してきた男と不器用に大臣に座っても初心を貫いた男がその多くを稼いだに違いない。  テレビ写りしか気にしていないような言動が目に付く政治家の中で、そのハンディーを跳ね返して信念を貫いている政治家にこそ僕は期待したい。だって国民のほとんどは日の当たらないところで懸命にその日その日を暮らしているのだ。ふとした幸運にも恵まれることもなく若者は社会に放たれ、壮年は行き場を失い、老人はなけなしの蓄えを切り崩す。あの時政治に少しだけ期待して自嘲しているのが昨今だ。見かけが良く、雄弁、僕はそんなもの信じない。醜男で口べた。それでいいではないか。だって今まで、僕の回りにいる口べたな人に裏切られたことはないのだから。