後発

 開口一番「歳をとったなあ」と、なんという挨拶かと思うが、20年も会っていなければ当たり前だろう。そう言う人に限って自分は変わっていないと思うのだろうか、「お宅もずいぶんと歳取ったね」には意外と弱くて顔が引きつったりすることもある。僕は意地が悪いほうだから必ず返り討ちに会わせるようにしている。 嘗て備前焼をやっていた彼がそれこそその挨拶と共に入ってきた。当時色々な人が僕の回りにはいて、そのほとんどが外部からの人達だったが、彼もそのうちの一人だった。備前焼がバブルと共に、僕に言わせればバブルのようにと言うほうが合っているように思うが、有名になり突然有名作家と言われる人が現れ(作られ)、小さな器に車より高い値段が付けられていた時代だった。そんな夢のような良い時代を追って作家を目指して若者が備前に集まった。ところが公害問題でご当地に釜を築くことが出来ない人が続出して、隣町の牛窓に流れてきた人達の中の彼は一人だった。色々な新人作家と出会ったが、ほんのちょっとしたデビュー時期のずれで、経済的には巷言われているような冨は築けなかったみたいだ。師匠について下積み修行をした人と陶芸学校を出て釜をすぐに持った人などの軋轢も聞こえてきた。門外漢の僕はそう言った経緯は分からないが、気の合う若手の作家達と付き合っていた。ところがやはりここでも僕は類を呼んでしまうのか、誰も大成しなかった。財を築くことはおろか、生活も結構苦しくて、備前焼そのものを辞めた人も多い。さすがに芸術家肌の人が多くて個性は豊かだったけれど、生活者としてはたくましくはなかった。夢を追い求める土壌が周回遅れの若手には残酷だった。いい目をした人達と彼らとの間に、どの程度の作品の差があるのか分からなかったが、百貨店の展示場にはなかなか彼らの作品は並ばなかった。作品の出来不出来より、、ネームバリューばかりがもてはやされるようにしか見えなかったが、単なるそれはひいき目で、素人の入っていける領域ではないのだろう。 どの業界でも最初に始めた人は立派で、当然財も築くのだが、後発組は少しのおこぼれを頂戴する程度だ。開拓者と物まねが同じ評価では浮かばれないから当然だが、なかなかパイオニアにはなれない。彼は備前焼を辞めて堅気の仕事についていたが、また焼き物を始めたらしくて、当時余り評価をしていなかった塗り物を使った作品を持ってきてくれた。感銘を受けるような作品には見えず「これお皿みたいだけれど使ってもいいの?」と思わず尋ねた。芸術作品か実用品か分からなかったから。何焼きとも説明がなかったから、独自の境地を開いたのかもしれないが、どう見ても開拓者には見えなかった。ますます、上手くいかない人が似合っているように見えたが、向こうもまた僕を見て同じ事を思っているかも知れない。でも返り討ちに会いたくなかったのでそのお皿は丁寧にお礼を言ってもらっておいた。「これ何年待っていたら価値が出る?」この程度ならいいか。