クリスマスプレゼント

 今日、僕は最高に嬉しいクリスマスプレゼントをもらった。毎年形だけでも何かはもらっているのだろうが、今までで一番素晴らしいものだった。過去何をもらったか覚えているものは何一つないくらいだから、そもそも比較するのも意味がないかという気もする。 このところ2週間毎に遠くからやって来てくれるお母さんとお嬢さんがいる。どうして僕のことを知ったのか分からないが、30秒、いや1分に1回くらい咳くお嬢さんだった。病院で喘息の薬も頂いているし、近くの薬局でこれだけ飲んでいますと言う漢方薬もどきも沢山見せてもらった。以前は数十万円も、ある薬だけに費やしたとか、同業者として恥ずかしくなるようなサギまがいの餌食にもなっていた。要は何をやっても止まらない咳なのだ。1ヶ月半前初めてやってきてくれた日に僕も妻もそのお嬢さんがお母さんに向けるなんとも言えない優しい眼差しに魅せられた。あれだけ咳で苦しんでいるのに、お母さんの不調の問診をしているとき、お嬢さんがとても優しい眼差しや言葉をお母さんに向けたのだ。その光景を見て、何とかしなければと言う気持ちがとても強く僕に湧いた。以来処方を工夫しながらお世話させてもらっているが、今日来たときは家族3人分を作るから1時間以上薬局に留まっていたと思うが、1回しか咳かなかった。本人も4割くらいに咳が減ったと言っていたが、それ以上に減っているように思えた。  治療に主観を入れてはいけないのかもしれないが、そんなの建前で僕はビンビンに入れる。保険調剤ではないから自由だ。善良な人には全勢力をつぎ込む。どうかなと思う人にはそれなりの対応しかしない。この家族は当然前者、それも飛びきっりの前者だから、外出している時でさえ、今度来たら結果次第でどの処方にしようなんて考えていた。今日の素晴らしい結果も車を運転しているときに思いついた処方だ。  僕は彼女に心からお礼を言った。クリスマスプレゼント有難うと。完治するかもしれないよと言うと彼女が万歳をしたが、次はそのプレゼントを僕が渡す番だ。都会の人がこんな田舎の薬局に来てくれるのが不思議だが、優しい眼差しに心を打たれたように、のんびりとした業務だからこそ遭遇できる小さな喜びに気がつくことが出来る。そんなことに気がつかないままに淡々と業務をこなすのはもったいない。喜びなんて無防備な一瞬に現れるものだ。あの世界や、あの業界や、あの集団や、あの人達の計算尽くの洪水にはうんざりだ。