雨粒

 頬に一粒の水滴が当たる。あれっと思って空を見上げるが雨らしきものは見えない。ただ頬を拭った手には明らかに水滴がついている。鳥でも頭上を飛んでいったのかと思うがその気配はない。実際に雲がどのくらい大きいのか知らない。またどの様に分断されているのか集合しているのかも知らない。ただ明らかに僕は今最初の一滴を頬に落とされた。ゆっくりと空を覆ってきた灰色の雲の先端に僕はいるのだとふと気がつく。  僕は今たった一つの雨粒の落とし場でしかない。考えて、食べて、働いて、笑ってとそれなりに存在しているつもりだが、自然にとってはたった一つの小さな区画でしかない。そこでは体温も呼吸も言葉も必要ない。只いるだけ、いや只あるだけなのだ。ない頭で考えて、虚弱な体を動かしても雲一つ作れない。 やがてコンクリートにあたる雨の音と共にいくつもの水滴が立て続けに落ちてきた。雨雲が空の上で僕を追い越している。針の穴にも劣る区画は背中を丸めて小走りに逃げ帰る。何を力んで生きているのだろう。そこにある草も、そこにある電信柱も、そこにある乗り捨てられた自転車も何ら重力に逆らうことなく黄色のハンモックで揺れているだけなのに。なんて穏やかな朝の始まりなのだろう。身体中から力みが消えていく。弛緩した肉体から引きつった精神が転がり落ちていく。