ウシガエル

 昨夜から鳴き続けていたのだろうか。ボーウ、ボーウと低音でしかも結構遠くまで響く声で鳴いている。薬局から歩いて1分の、こんな近くにまだ湿地帯が残っていて、ウシガエルまでが生きているなんて何で今まで気がつかなかったのだろうと思う。 朝まだ早いテニスコートは、体育館の屋根に遮られて陽はまだ一部を除いてあたらない。その唯一陽があたっている草むらに僕より早くネコが陣取っていた。飼い猫か野良猫か分からないが、しっかりと太陽の恵みを受けている。体温を上げることで免疫を強くする動物の知恵か、単なる早起きか分からないが、侵入者の僕を警戒して逃げる用意を始めた。いつものように僕はテニスコートの中をフェンスに沿ってグルグルと回り始める。1巡するたびにネコの傍を通るのだが、最初警戒していたのに、回を重ねるに従って、逃げる仕草を止め、じっと身構えるだけになり、そのうち目を閉じたまま僕をやり過ごし、最後にはお尻をむけて気持ちよさそうに物思いにふけっていた。 短時間のうちに僕はネコに危害を加えない動物として認識された。こちらがそれなりの態度を示せばネコにだって信頼されるのだと都合の良い満足感に浸った。猫が好きなわけでもないから声をかけるようなことはしないが、敵意を露わにすることもなく自然体でいたら、あの小さな動物だって理解できるのだと不思議な体験だった。  人間も同じではないか。多くの人は社会的な営みの中で出来れば争いたくないと思っている。この時代に命をかけて争うような愚かなことはしないだろうが、命を削るような争いは不幸にして起こりうる。繊細な人なら、ほんの些細なことでも神経をすり減らし消耗する。それは時として立ち上がれないほどのダメージをももたらす。何を他者に強いたわけでもなく、何か危害を加えたわけではなく、意図して不快感を与えたわけではなく、ただそこにいただけで争いの中に巻き込まれる理不尽さも蔓延している。あなたに危害は加えないと両手をあげて街を歩くべきか、人とすれ違うべきか、声をかけるべきか。  ボーウ、ボーウとまるで天敵に居場所を知らせているようなものなのだが、その度胸とおおらかさを見習いたい。また鳴けば鳴くほど餌となる小動物は逃げていくと思うのだがその寛容さを見習いたい。湿地帯で繰り広げられる弱肉強食が人間社会のそれには勝てないとボーウ、ボーウと嘆いている。