マニュアル

 牛窓に帰って何年になるのかな。2年か3年か。今日は娘の記念すべき日だろう。いや僕にとって、少し力を抜くことが出来る日の始まりかもしれない。正直もうずいぶんと働き過ぎによる倦怠感との戦いになっているから、そろそろこの緊張感から足を洗いたい。 相談机を挟んでなにやら長い時間話し込んでいた。調剤室にいた僕には話の断片しか聞こえてこなかったが、よくある自律神経失調の典型だ。都会に期せずして嫁いだ娘のことがきっかけで調子を崩したらしい。喉が詰まるとか、食欲がないとか、食べるとむっとするとか、不眠とか病気のようで病気でない辺りを娘に訴えていた。病院の治療に見切りをつけたのだろうか。耳に届く症状の内容で、僕には処方がすぐに浮かんでくる。ただ、いつかは独り立ちしなければならないので、ぐっと耐えて僕は僕の仕事をしていた。  30分は経過しただろう、娘はやっと調剤室で漢方薬を作り始めた。その薬が1週間で効果を出すことが出来なかった。1週間後も長い時間話していたが、娘は自律神経失調ではなく、ウツ傾向だと判断し直したみたいだ。まるっきり処方を変えてもう1週間挑戦した。すると今日その奥さんがやって来て「治ったかと思った」と報告していた。1週間のうちで完全に症状が消えた日が3日あり、症状があってもかなり軽く、自分で治っていっているのが分かると言っていた。こんな報告は治療者側にとってはこの上ない喜びなのだ。この感激のために勉強しているようなものだ。娘は患者さんの前では喜んでいたが、帰ってからは意外と淡々としていた。寧ろ喜んだのは僕の方かもしれない。いつか完全に交替しないといけないし、それは早いほうがいいに決まっている。日々知識を蓄えていっているだろうが、実践で初めてそれは有機的になる。ノートの上の無機質な知識では何の役には立たない。  今年のいつからか娘夫婦が薬局の中心になる。現代の薬剤師は誰もそうだろうが、僕らが10年20年かかって得た知識や技術をすでにもう持っている。昔僕が青二才で帰って、それでも田舎の人に温かく見まもってもらったと同じように、二人も育ててもらうのだろうが、飾らない自分を晒せば田舎の薬局ほど楽しいものはない。マニュアルで夜も明けないし日も暮れない。軽四トラックから降りてくる日焼けした笑顔に救われ続けた30年だった。  さてやり残したことと言えば、歌手になること、俳優になること、パチプロになること ・・・どれにしようか。