野良犬

 暮れにある女性から「薬局をやっておられるから健康なのでしょう?」と不思議そうな顔で質問された。丁度その方がいる近くである人と話をしていて僕の話し声が聞こえたのだろう。僕はひそひそ話は出来ないたちだから、近くの人には全て話す内容は公開している。褒めるのも批判するのも同じトーンでやるから、共感も反感も入り交じって返ってくる。それらは全て覚悟の上で、言葉に関しては裏表がないようにしている。 薬局に来て僕と話す人はほとんどの方が知っている、僕がいたって健康的でないことを。その方にも「もう体はガタガタ、心もガタガタ」と答えた。きょとんとした顔で、それでもまじまじと見つめられたのは、余程僕みたいな職業の人間と縁がなく、健康産業に従事する人はすべて健康なのだろうと決めつけているせいか、はたまた心から同情してくれたのか。何事にも真面目に返すのは好まないから煙に巻くような返事をしたのだが、全くの事実だ。それよりも僕はその方の方がいたって健康的に見えた。顔はつやつやしているが、その方が社会に貢献している内容からして僕より年上に見えるのだが、近くで見、話をした後には僕の方がひょっとしたら年上なのかなとも思わせた。  こんな事をする人は日々どの様なことを考え、どの様な生活を送っているのだろうかと考えてしまう。どの様な信念が彼女を支えているのだろうかとも思う。何もかもが遠く及ばない無力感に襲われるが、さりとて近づいて何かできることはありますかととってつけたような言葉はかけれない。僕は自分が出来ることは良く分かっている。出来ることと出来ないことの差が激しいとよく言われるが、自分でもそれは気がついていて、ブレーキもハンドルも常に磨きをかけている。妙にアクセルだけがさび付いているが、これは人を裏切らないための制御装置になっているからなのだ。思いつきの発想で本心とは異なった行動はしたくない。それでまかり間違って好評を得てしまったりしたものなら取り返しがつかない。愚にして鈍、それに優る評価はない。地上を這っている間、落下の危険はない。羽もないのに飛べる空はない。  僕に出来ることは、彼女の車から降りてくるホームレスの人達を笑わせること。それ以上は僕の顔が引きつる。ただでさえバランスを失っている僕の顔がこれ以上歪んだら、野良犬さえも振り向いてはくれない。