過疎地

 有名な漢方薬メーカーと同じ名字だから耳に入りやすかった。「若い力」とキャッチコピーで若さを売りにしていたが、それだけではあるところまでは引っ張れるが持続性はない。誰だって必ず老いるのだから。寧ろ僕は政治家らしくない、うそを言うのが苦手そうな所を売りにした方がいいのではないかと、少し話したときに感じた。将来堂々と思ってもいないことを言えるようになる前に、素顔に接して良かったと思う。 その彼が出陣式に牛窓を選んだ。案内の電話があったときに何かの勘違いだと思った。当然大都市の票田を狙って、都市部から始め僻地に次第に場所を移すものとばかり思っていたから。ところが昨日の朝、若者達の叫び声がいきなり聞こえ始め次第に近くなった。運動部の合宿で朝のランニングでもしているのかと思って外を覗くと、そろいの青いTシャツで自転車に乗った若者集団が候補者の名前を連呼しながら通り過ぎた。何となくほほえましい光景だったから眺めていると前から2番目の男性が候補者本人だった。彼も気がついてこちらに手を振っていたが、見る側からすればすっかり若者達の一員に溶けこんでいた。半年くらい前にポスター貼りをしている男性が薬局に入ってきて、本人ですと言ったのを思いだした。ああ、本当に出陣式の場に牛窓を選んだのだと感慨が深かった。牛窓をわざわざ選んだ理由は分からなかったが。 その理由は、今朝の新聞で分かった。過疎地というと山間部寄りってのが常だが、岡山県では、南東部の海岸沿いも過疎地域に指定されているのだ。僕の住む町も例外ではない。県の南西部を偏重した嘗ての県知事の仕業か、他の理由か分からないが、同じ瀬戸内に面していると言っても雲泥の差がある。その県南の置き去りにされた人々の生活支援が気になっていたという彼のコメントが載っていたのだ。ああ、そう言った確信を持ってスタート地点に牛窓を選んだのだと知った。  経済的、利便的なものでは大いに取り残されたのかもしれないが、取り残されなかったものもある。破壊されなかった風景だ。海と山が生む新鮮な空気と、海と山が育てる不器用な心。経済指標のどれを持っても測ることが出来ない価値あるものは残った。恐らく都市が最後の拠り所にせざるを得ないものが残った。この水も、この空気も、この人情も、人がしばしば口にする「まだまだこの国も捨てたものではない」そのものなのだ。田舎が田舎力を発揮することで都市は存続する。人も空気も水も人情も、都市で生まれたものではない。全てが田舎で生まれたものだ。 彼がどの様な手腕を発揮してくれるのかは分からない。この町のために働く人でもない。ただ彼がこの町に来て感じたことが、豊で貧しい人には本当の豊かさを、貧しくても豊かな人のためにはより豊かさを与えてくれる施策に反映されたらいいと思う。