市場経済

 漢方の大先輩の訃報が届いた。岡山県の女性薬剤師の先駆けとしても活躍されていた。僕が漢方薬と出会った頃にはもうすっかり有名で、岡山県一の繁華街に立地していたこともあって、経済的に豊かな人達が多く頼ってこられていたという噂だった。  数年前高齢を理由に薬局を閉じられたが、それでもなお勉強会には来ていた。なんて言う熱心さだろうと感心するばかりだった。薬局を閉じてから何人かが僕を頼ってこられたが、勿論処方はしっかりしているし、値段もすこぶる良心的で誰でも飲める金額だった。立地に左右されず真心を尽くして薬剤師としての誇りを持って仕事をしていただけなのだ。誇り高い人だったから、困っている方を心からお手伝いしたかったに違いない。良くはやっていたからやっかみが働いて先ほどのような風評が立ったのだろう。同業者だからどの様なスタンスに立って仕事をしているかくらいすぐ分かる。同業者から良い評判を得られるようになれば大したものだが、それは往々にして至難の業だ。 どんどん漢方を勉強していた先陣達が亡くなる。僕より下の世代はほとんどいない。長い間日本の漢方を支えていた薬局漢方は、後継者を作ることが出来ずにいずれ近いうちに幕を降ろすだろう。ほとんどの薬剤師が処方箋を介して医療に携わるようになったから、漢方薬みたいなアナログには縁がない。寧ろ現在では、医学部で少しだけ漢方薬を教えるから、医者の方がこれからは漢方薬と縁が出来る人が増えるだろう。若い医者は少なくとも誰でもある程度は漢方の知識を持っていることになる。ただよほど好きでないと忙しい診察の間を縫って勉強することは出来ない。どうしても2軍的な治療になってしまう。その為に、のんびりと、その人の生活の中にまで招かれるような治療が施されるかどうかは疑問だ。 どんな薬局が世の中で必要とされているのか僕には分からない。企業ならマーケティングをしっかりしてそれに邁進するのだろうが、僕レベルだとそんな気はさらさら無いし、出来るわけもない。せいぜい、何が出来るかを問いつめる方が実現性を持っている。何が必要ではなく、何が出来るかなどと言うと敵前逃亡みたいだが、もうとっくに逃げ出している。市場経済から大きくはじき飛ばされて、私情経済で何とか居場所を与えられている。いやいや、このやる気の無さは最早、至情軽罪の域に達しているのかもしれない。