モコに負けた

 話すうちに込み上げてくるものがあったのだろう、涙を流し始めた。何かきっかけがあれば堰を切ったように慟哭するのではないかという雰囲気だったが、なにぶんそんな場面でも僕は、いつものペースだから、かろうじて彼女にはブレーキがかかっていた。深刻な話なのに何故か犬の話題になった。小さな犬を飼って、風呂に一緒に入り夜は一緒に寝たいと言った。子供でもいれば生への執着が生まれるだろうが自分には必要とされる人がいないから執着が湧かないとも言っていた。子犬が子供の代わりになると考えているのだろう。 小型犬を見せてあげようかというと、驚いた。まさか用意されていたかのように小型犬が現れるとは思っていなかったのだろう。ところが我が家には、息子が飼えなくなったミニチュアダックス(モコ)がいるのだ。2階から連れて降りるとモコは早速彼女に飛びつき懸命に舌で顔をなめようとした。誰彼と無くなめまくる人間好きな犬なのだ。彼女も犬が好きなのだろう、されるがままに顔をなめさせていた。逆に彼女がモコのほっぺに口を付け、迫っていた。モコも圧倒されるくらい。20分くらいは遊んでいただろうか。さっきまでの厭世的な雰囲気とはうって変わり、笑顔が戻り、大きな笑い声も絶えなかった。 僕はカウンセラーではないから、旨く話をすることは出来ない。ただ誰とでも同じように話してしまう不器用さがあるだけだ。それが功を奏することもあるだろうし、悪意に取られることもあるかもしれない。ただ僕はひたすら目の前にいる人達が改善して欲しいだけなのだ。処方に反映されるヒントを捜しているだけなのだ。ありのままの姿で、ありのままの言葉で出てきたものを懸命に捕捉しようとしているだけなのだ。お医者さんのように薬局には検査する権利がないから、五感を働かせて情報を掴むのだ。それには僕も相手も自然体がいい。飾らないありのままがいい。  僕の前でモコと戯れる彼女は完璧だ。何処にも愁いはない。大切にされ、大切にするものがいればこんなに精気がみなぎるのかと驚くほどだ。薬なんかよりよほどよく効く。一度に押し寄せた非難に心を引きちぎられ理性を粉砕されたことは憂うことではない。当たり前だ。良い耳を持って良い言葉だけ拾えればそれに越したことはないが、聞きたくない言葉ほど入ってくるものだ。目としっぽで答えてくれるモコに癒されて夜の岬を帰っていくその人に幸あれ。