縄跳び

 まあ、驚いた。僕より一回り年配の方が鉄アレイを両手に持ってランニングをしていた。その後に懸垂を悠々と何回も行っていた。懸垂が1回も出来ないことに最近気がついたので、圧倒された。その人が縄跳びのギネスブックに載っていると言うから納得。なるほどその後の映像では3重飛びを延々と続ける姿も放映されたからまたまた納得した。ハッキリした数字を忘れたが、縄飛びを連続9時間以上、2重飛びは連続万の単位、他に2つの数字も出ていたがそれは忘れてしまった。 よくスポーツ選手などの勇気をもらうという表現をする人がいるが、僕はそれは理解できなかった。彼らは特別の素養を持った人達だから、出発点から違うだろうと比較の対象にはなり得なかったのだ。ところがその方は恐らくごく普通に生活している人。プロではないだろう。その人が好きなこととは言え、あの年齢になってもあれだけの筋肉を維持していることは驚きだし、僕も真似れば少しは又復活するのではないかと希望を抱かせてもらった。これが勇気をもらうってことなのだろうか。  そうしてみれば僕なんかついぞ勇気など与えたことがない。与えてあげるだけのものも持っていないし、努力をもっとも苦手としているから成し遂げたものもない。もし与えられるとしたら優越感か。病気の相談にきた人が僕を見て、ああこの人よりは自分の方がましだと思えるかも知れない。ひ弱もそうしてみれば悪くない。人助けになる。  どうやらついでに、居直って生きる勇気も与えられたかも知れない