湿気

 母が楽しみにしている菜園に居たとき、丁度指南役のお百姓の夫婦が訪ねてきてくれた。軽四トラックから、道具を降ろすと早速菜園を点検した後、稲藁を小さく裁断し始めた。その道具の名前を思い出そうとしているが今だ思い出せれない。幼いときに母の里の農家に預けられていたので、良く目にしている、いや、当時は手伝いで使っていた記憶もあるものなのに、名前が出てこない。何十年ぶりに目にしたその道具が、とても懐かしかった。また、中腰で作業を続けているご主人の腰を思いやった。と言うのは、最近やっと、脊椎管狭窄症の漢方薬が効き始めて、喜んでいた矢先だからだ。僕の母のためにそれが復活でもしたら申し訳ない。  よく働き、良く喋る奥さんとの、解説付きの指導だったが、気が付いてみると人だかりがしていた。近所の人か、或いは普段着には見えなかった人も混じっていたから旅行客も居たのかもしれないが、2人のうんちくに耳を傾けていた。それもそのはず、海水でも沸いてきそうな所、それも100年以上建物の下だったところに、藁や肥料を入れ、耕して畑にした所にトマトやエンドウやナスビが立派になっているのだから、以前の様子を知っている人達には驚きだろう。素人の母の菜園にしても、支柱を作ったり、肥料をまいたり、土を耕したりと、とても手間暇をかけていることを目の当たりにした。これが、プロのお百姓さんだったら、たいへんだろうなと想像に難くない。九の字の腰をしたご主人の作業を見ていて痛々しかった。先祖から受け継いだ田畑を守り続けてきた高齢のお百姓さん達に、どれほどの人が感謝しているだろう。「田畑を守る」延々と受け継いできた姿勢にこの国の偉い人達はどれほど報いたのだろう。  科学がどこまで発達するのか分からないが、もう不自由しているものなどないような気がする。周辺が整備されるに従って、一刻の休憩も許されないようにアクセルは踏まれ続け、すり減った心は修復できない。抗ウツ薬や安定剤でバランスをとれるはずがない。初夏の太陽がまぶしくて、じわっと汗ばみ、地面から上がってくる湿気に虫と同じように命を養われる。無くしてはいけない感覚にしばし浸った。