あなたの命をいただきます

 今日は祝日なので、5時に仕事を終えテレビニュースのはしごをしていた。その中で印象に深い光景があったので披露する。勿論同じ内容の物を見た方も多いと思う。  高速道で横転したトラックの中から、豚が10数匹逃げ出したらしい。その中のほとんどは後続の車に轢かれ死んだらしいが、3匹が死なずに高速道を逃げまわった。テレビでは逃げた豚を追い回す人達が映っていたが、その傍らで傷つき息も絶え絶えの豚も映っていた。見るに忍びないくらい傷ついていた。あれが人間なら正視できないだろう。ナレーションは、車は食肉処理場へ向かう途中だったと伝えていた。もう数時間もすれば豚達は同じように命を失っていたのだ。食肉処理場の実際の殺し方を僕は知らない。命を失う方から見れば、その方法はよくて交通事故は悪いと言えるのかどうか。僕らの日常ではトレイの中に収まっているものが豚なのだ。豚はないたり、かけったり、寝たり、喧嘩したりはしない。息もしないし、殺されそうになっても涙も流さない。現代人にとっての豚は100グラム幾らの茶色の柔らかい手触りの物体なのだ。永六輔が、食事の前の挨拶「いただきます」について解説していたことがある。彼によると「いただきます」は実は「あなたの命をいただきます」の「あなたの」の部分を省略しているだけなのだそうだ。自然界のあらゆる命ある動物、植物の最高峰に君臨する人間は、ありとあらゆる命をいただいて生きている。殺生こそがいきる唯一の方法なのだ。永遠に繰り返されるこの行為に対して昔の人は原罪と敬意を両立させていた。この認識がないから合理主義が蔓延し、心を失った光景が個人の特質のレベルまで追いやられるようになった。  横転したトラックから豚は果たして逃げたのだろうか。痛くて恐ろしくて仕方ないから、走り回っていたのではないか。逃げたと言う言葉に人間の傲慢を感じた。ただ僕には何も言う権利はない。このニュースを見ながらゴーヤチャンプルを食べていたのだから。